ダメ論文

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ダメ論文について

ラインベルガーに関して言及を行った論文は少ない。強いてあげれば盛岡大学の小林みゆき氏の二点と国立音楽大学の小田賢二氏のものである。またセシリア運動の研究において成城大学の福地勝美氏論文にも多少の言及がみうけらる。

この項は国立音楽大学の小田賢二氏の論文、『G.J.ラインベルガーのオルガン作品にみられた教会旋法からの洞察 <第4ソナタにおけるTonus Peregrinusの意味>』(音楽研究:大学院研究年報 14, 127-141, 2002 国立音楽大学)のだめっぷりについて触れたいと思う。当初はそのダメぶりを罵倒しようと思ったが、ヘタなことを書いて名誉棄損的なことになってはいけないと思い、オブラートにくるんだ優しい文章にしようと思っていたのだが、再々々々々々度読み直していて、決定的なダメっぷりに気づいたので、すこしはきつくやらないとダメなのではないかと思った次第である。筆者は小田氏がどのような方なのかは全く存じ上げない。ググると国立音楽大学の講師だったらしい経歴がみうけらる。連絡先も知らず、ましてなんら含むものはないが、やはり駄目なものはダメと指摘することが後学のためなのではないかと思う次第である。おそらくこの論文を探し出して読もうと思う方はそうそういないと思うが、「ラインベルガー 論文」などのキーワードで検索を行うと高い割合で(論文そのものではないが)タイトルがヒットする。ラインベルガーを研究しようとするなら、特にオルガンソナタ第4番を演奏するつもりの方には、有益な面も見受けられる。そのような人々の一助となり、誤解を生まないようにするために取り組みたいと思う。

なお、小田氏の論文は2001年に書かれていているので、資料が古いのではと思わるかも知れないが、基本的には筆者と同じ資料を使っている。また筆者は基本的には独語文献をほとんど読んでいないので、独語文献が根拠となっているのかもしれないが、基本ラインは同じ資料である。

明らかな誤字については言及しない。地名のカタカナ表記についても言及はしない。

また差し障りがある様であるならば、それは相談次第である。


共通参考図書
a. 『Josef Rheinberger』 Theodor Kroyer
b. 『Josef Gabriel Rheinberger - Leben und Werk in Bildem』 Harald Wanger
c. 『Sämtliche Werke Orgelsonaten 1-10』 Band 38, Josef-Gabriel-Rheinberger-Archiv
など




P127

タイトル

G.J.ラインベルガーのオルガン作品にみられた教会旋法からの洞察


L1

2001年の今年はG.J.ラインベルガー(Gabriel Josef Rheinberger)の没後100周年~


もう、のっけから駄目。論文タイトルからしてダメである。ラインベルガーのファーストネームがおかしい。ガブルエルはおかしい。間違っていないが正しくはない。確かに出生時においてラインベルガーはガブルエルと名付けられ、翌日洗礼名ヨーゼフとされた。出生証明書にも「ガブルエル・ヨーゼフ・ラインベルガー(Gabriel Joseph Rheinberger)」と記載されている。またいくつかの伝記のタイトルは「Gabriel Josef Rheinberger」となっている。しかし彼は後年自らの意志でファーストネームとミドルネームを入れ替えたのである(その際JosepfをJosefにした)。これは参考図書a.およびb.にも記載されている。1854年2~3月(15才)に三つの『前奏曲とフーガ(JWV 10, 13, 16)』を作曲しその自筆原稿の表紙でも確認されている(MDG : MDG 317 0891-2)。また初めての出版作品『四つのピアノ曲』の表紙も「Josef Rheinberger」となっている。「Josef Gabriel Rheinberger」が正しいのである。ラインベルガーのCDは1990年代初めには日本に入っており、その時点でもJosef Rheinbergerとなっているので世間一般の認識は「Josef」がファーストネームである。後年のファーストネームとミドルネームを入れ替えについて言及せず、論文を通して「G.J.ラインベルガー」と呼ぶのはナンセンスである。



P128 下からL4

やがて1848年には、父親の勧めもあってヴァドューズから15kmほど離れたケルトキルヒ(Keldkirch)の著名な~


父親はケルトキルヒに行くことを勧めていない。シュランメルが父親に対しケルトキルヒへ行くことを勧めたのである。そもそも父親は音楽の道に進むことを喜んでいない。またケルトキルヒに行く前にフローリン教会でオルガニストを務めたことにも言及していない。



P129 L9

また、作曲家Y. J. マイヤー(Josef Julius Maier)


マイヤーは J.J.である。Y.J.ではない。なお資料によりJosef JuliusだったりJulius Josefだったりもする。

 


P129 下からL2

J.G.ヘルツォークから、大バッハのオルガン奏法やプロテスタント教会音楽を紹介されたことにより~


大バッハのオルガン奏法やプロテスタント教会音楽を紹介したのはヘルツォークだけではない(後述)



P129

脚注8

J.G.ヘルツォークはMoritz Hauptmann(Thomaskantor 1848~1868)の高弟。


ヘルツォークは大バッハの四代下の直系弟子(大バッハ-Kittel-Rinck-Herzog 参考図書c.の序文脚注を見よ。40巻序文では本文に系統が出てくる)だが、ハウプトマンの弟子ではない。ハウプトマンの弟子はマイヤーである。小田氏は完全に混同している。上述と合わせ、大バッハの法統はヘルツォークとマイヤーの二人からもたらされている。(carus : 83.113(Musica sacra II)、Carus 83.112 (Sinfonie F-Dur op.87)、NAXOS: Organ Works Vol.7 Sonatas Nos. 17 and 18なども参照されたし)

 


P131 L2~L3

1854年の「三つの前奏曲とフーガ」(JWV10, 13)を除いて


JWV16が除かれている。全集補遺第3巻などを見よ。

 

 

P132 L6~

歴史に対して「もし・・・なら」を言うことは出来ないが、生涯オルガンを愛し、20を数えるオルガン・ソナタを作曲し続けたラインベルガーのプランには、24の前奏曲とフーガが集められたあのJ.S.バッハの2巻の平均律ピアノ曲集のように、24のオルガン・ソナタ集の集大成があったかもしれない。しかしそのような仮説を立てて、ここで推論していく余裕はない。


それぐらい推論しろよ! 大体調がかぶっていないのだから、想像がつくだろ。Graceも序文で言及しているし、Weyerも指摘している。そもそもラインベルガーは「無理っぽいができたら完成させたい」とAlexander Wilhelm Gottschalg宛の手紙に書いている。(あれ~、原文が出てこない)


P138 L4

この作品はバッハ没後の18世紀後半に起こった19世紀にも激論された楽劇論に触発されている。

 

文章自体が意味不明。そもそもここにある「18世紀後半に起こった19世紀にも激論された楽劇論」とはなにか? ワーグナーは1813年生まれ。おそらくこの「楽劇論」というのはワーグナー=ブラームス(標題音楽=絶対音楽、調性の崩壊でもなんでもいい)論争だと思う。またラインベルガーは非ワグネリアンだが、論争からは遠ざかっている。そもそも「触発」されている根拠も示していないし、「触発」されたことを示す資料は見たこともない。この論文は共通参考図書c.を基に書かれているのだが、どこかにあるのだろうか?


P138 下からL3

ファニー(フランチェスカ)/ラインベルガーの台本によりオラトリオ「ベトレヘムの星」の世界が転回(原文ママ)されている。


ベツレヘムまたはベスレヘムと表記するのが一般的である。これは単純に発音の問題か誤植だと思っていたが、その直下の脚注に"Der Stern Behtlehem"とある。正しくは「Bethlehem」。「t」と「h」が入れ替わっている。どうも「ベートヘレム」とhを長母音に使用したか? ガチで間違っているっぽい。また『ベツヘレムの星』が最後に作られたわけだから『ベツヘレムの星』の「世界が転回されて」いるわけないだろ。逆だ。ベツヘレムの星』の第2楽章に転用されたんだ。オルガンソナタは1876年。次に流用されたオーボエとオルガンのための『アンダンテ・パストラーレ』が1888年。ベツヘレムの星』が1890年。バカじゃないの? もしかして?


P139 L1

(前略)まるでスウェーリンクの半音階幻想曲を思わせるような(後略)


まるで自分の発見のように書いているが、これあれだろ、Martin Weyerの『Die Orgelwerke Josef Rheinbergers』p52〜53の受け入れだろ。何の説明もない図版(いや Sweelink, Fantasia cromatica:とかキャプションがあるからわからないでもないが)とともにいきなり出てくるので、ものすごく不自然。そりゃ、オルガン弾きにしてみれば、スウェーリンクの曲を想起するのは簡単かもしれないが、ちゃんとした論文ならやはり図版も含めてきちんと説明するべきではないか。


P140 L5~

更に、作家ファニー(フランシスカ)夫人との共同作業による、オペラ作品・オラトリオ作品を手掛けるなど、舞台音楽監督としても多忙であった。


基本的にファニー台本のオペラは存在しない。ジングシュピールをオペラととらえるかもしれないが、ピアノ伴奏の規模の小さなもの1作(『魔法の言葉』)だけである。「共同作業による」オラトリオおよびカンタータも2曲しかない。確かに歌劇場のコレペティトールを勤めた時期があったり、オペラ『七羽のカラス』改訂版初演時も忙しかったし、オペラ『塔守の娘』初演時は兄アントンの葬儀に出席できなかったいう事実はあるが、そもそも舞台作品の割合は低い。

 


P140 L15~

敢然として立ち向かい、激論を戦わして芸術音楽の品位を守った。


これはワーグナー=ブラームス論争だが、ラインベルガーが論争に加わったという記述は見たことがない。参考図書b.のバイオグラフィーでは論争から遠ざかっている。『Sämtliche Werke 04 Requiem op.60』も同様である。



P140 下からL5

教会再生運動やチェチリア主義からも距離をおき、


逆である、距離はおいていない。セシリア運動(チェチリア主義)に共鳴しているからこそ、フルオーケーストらによる宗教曲を作らなくなり、最終形態としてオルガン伴奏のミサ曲に行きつくのである。福地勝美氏によればラインベルガーは重要なセシリアンである。私も穏健的なセシリアンだと認識している。ただ総ドイツセシリア協会と折り合いが悪かったのである。



P141 参考文献 8.

Harald Wanger, "Gabriel Josef Rheinberger, --- Leben und Werk in Bildem"


この本は『Josef Gabriel Rheinberger』である。基本中の基本文献のタイトルを間違えるのは致命的である。ファーストネームに対して全く理解していないことがここからもうかがえる


以上、ダメな個所をざっとあげつらってみた。基本的には核となるオルガンソナタ第4番のTonus Peregrinusに関しては問題ないと思う。が、それを取り巻くラインベルガーの生涯についてはメタメタである。ぶっちゃけた話、百害あって一利無しなのである。よくこんな論文が通るものと逆に感心する。査証する側も知らないのであろう。ここにまた一つ、ラインベルガーの「素晴らしく、そして誰も知らない」面を垣間見ることが出来る。とにかく『Josef Gabriel Rheinberger - Leben und Werk in Bildem』を、参考文献に挙げているにもかかわらず、錯綜が見受けらるのは残念である。