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Orgelsonate Nr.1 in c-moll, op.027

オルガンソナタ第1番 ハ短調 作品27

Prealudium; Andante; Finale (Fuge)


現存する唯一の第三楽章 Fuga の直筆譜 / Sonate für Orgel op. 27/3. Satz - BSB Mus.ms. 4742-8
現存する唯一の第三楽章 Fuga の直筆譜 / Sonate für Orgel op. 27/3. Satz - BSB Mus.ms. 4742-8

 そこかしこで解説されているが、ラインベルガーがオルガンソナタに取り掛かったのはその来歴にもかかわずかなり遅い。7才から故郷の教会でオルガニストを勤め(つまりその前から才能が認められていた)、ミュンヘンに移ってからもいくつかの教会でオルガニストを務め、母校で教鞭を執っていたにもかかわらず、ソナタのみならずオルガン作品を出版するのは1970年31才まで待たねばならなかった。

 

 それまでのめぼしいオルガン作品と言えば、『3つのフーゲッタ JWV(1851)』、『フーガ ヘ短調 JWV3(1853)』、『3つの前奏曲とフーガ ニ長調JWV10, ホ短調JWV13, ハ長調JWV16(1854)』、『4つの韻詩 JWV151(1858)』、『フーガ ヘ短調 WoO10(1867)』とその習作期の作品群に比すれば、オルガン作品の割合は驚くほど少ない。確かにオルガンで音楽の修業は積んだが、成人以降歌劇・交響曲・室内楽・声楽曲・宗教曲と作曲家として名を上げるために、野心的に作品を発表し続けていた。紆余曲折、暗中模索を続ける中で、全盛期に宗教曲とオルガン曲がもっとも彼の肌に合うジャンルだと自覚していったのであろう(そもそも生涯をかけてほぼ全ジャンルにわたる作品を書き続けたランベルガーを、オルガン作曲家と一言で済ませるのは無理な話なのだが)。

 

 オルガンソナタ第一番 ハ短調 作品27は、1868年の年の瀬に作曲が開始され、翌年の7月に完成した。(ただしウェイヤーの全集とグレイスは1868年、小林は1870年としている。前者は着手年と、後者は出版年とはき違えてる)。メンデルスゾーンによる6つのオルガンソナタなどその作品に次いで重要と言われる、オルガン作品群の嚆矢となる。その作曲の動機はわからない。そもそもメンデルスゾーンのそれはソナタ様式を満たしているとは思えず、影響力は限定されるのではないだろうか? むしろかつての師匠・ラッハナーのオルガンソナタに触発されているのかもしれない。ベートーベンのピアノソナタ群の念頭においてもいるはずだ。だがまだこのソナタ一番を作ったころは、のちのち異なった調でソナタを書き続けることは思いついていない。

 

 1868年は前年春に妻をめとり、秋には再開された母校で作曲とオルガンの教鞭を取り始めたターニングポイントとなる年の翌年である。29歳の彼はのりに乗っていただろう。ただしこのころ右手の人差し指に潰瘍ができる疾患にかかる。数年を経ずして、当時新進のヴィルトオーゾ鍵盤奏者とみなされていた彼が、演奏をあきらめるざるを得ない事態となる。演奏どころか一時期はペンすら持てない状態であった。よく往年の彼を高名なオルガニストと語られるが、生涯を通してはオルガニストだった時期は前半部分でしかない。発病後もある程度はオルガン・ピアノを演奏はしていたにしても、むしろ指揮者としての活動が長く、単純にオルガニストとレッテルを張るのは短絡視しすぎている(最大の功労は作曲と教師なのは言を待たない)。とにかくこの指の疾患も、彼をオルガンソナタに駆り立てた重要なファクターなのであろう。

 

 当時の様子を妻ファニーこう綴っている

「大みそかの夜にクルト(ラインベルガーのあだ名。ファニー彼をそう呼んでいた)は短調で始まり、力強い長調で終了する崇高なフーガを書き上げた。私たちは祝いながら行く年と別れることが出来ない。よそ様は飲んでバカ騒ぎをしている時期なのに。天のいと高きところに、神に栄光! こうして四声のフーガと2人で新年が始まった。」

 

 同曲はかつてのオルガンの師であり友人のヘルツォークに献呈された。第一楽章にて大バッハの『前奏曲とフーガ ホ短調 BWV548 楔』を彷彿させるのは、バッハの音楽を叩きこんでくれた師へのオマージュであろうとウェイヤーは述べている。またグレイスはどの楽章も優れており独立して演奏しても差し支えないし、いずれかの楽章を省略しても十分であると述べている。特に中間楽章のAndanteを省略した場合、このソナタは「前奏曲とフーガ」の形式をとることが可能であると述べている(その場合フーガの開口部はffで演奏してはならない)。アンダンテとフィナーレによる組あせも相性がいい。

 

 この曲に関するWebMasterの感想だが、当初はあまりピンとこなかった。中期から後期の傑作群からすれば面白みに欠けている印象が強かった。だが20曲あるそなたを一通り聴き終え、3巡目ぐらいに入ってから大体のソナタの主題が体になじんできてからである。「一番のフィナーレ(フーガ)は切れっキレだな。かっこいい~~」と思いだすにいたっている。特に第3楽章のコーダ部の終わり方は痺れてしまう。フーガの主題でガツンと終わるのはまだまだラインベルガー節が確立されていないのだろうが、これはこれでカッコウがいい。

 

 でだ、グレイスによる解説を読んでいて少々驚かされた。要約すると「フィナーレ(フーガ)はAlla breve.(2/2)で書かれているんだけど3/2で聴こえるようミスリードされているんだよね~。ベネット博士の指摘だけど」。これは素人のWebMasterにしては衝撃的な記述だった。WebMasterはこの曲を3拍子だとばっかり思っていたのである。特にコーダ部分のリズムはどう考えても3拍子としか思えない。ゆえに開始部からずっと3拍子だと思っていた。いやそのようにしか聴こえない。グレイスは言う「この開始部は4小節半ごとのフレーズだから」と。WebMasterは所詮素人、楽譜を見ながら漫然と聞いていても3拍子と思い違いをしていた。ラインベルガーは単純なな仕掛けで聴衆を幻惑する。しかもかなり初期の段階で。彼は12番のフーガもシンコペーションによって聴衆どころか演奏者にまでミスリードをおこさせているが、その他のソナタにもこのような罠が仕掛けられているのかもしれない。それは今後の課題である。

 

【追記】2020/Sep/22

この曲を演奏する場合、IMSLPに掲載されている初版を使う場合は、Finaleの116小節目左手4拍目のAにはナチュラル記号が抜けていることに気をつけなければならない。ま、初版は弾いていると不自然さがわかると思うけどね。(ちなみに現存する直筆譜にはナチュラル記号が記載されている)

初版(Leipzig: E.W. Fritzsch)。ナチュラル記号は無い
初版(Leipzig: E.W. Fritzsch)。ナチュラル記号は無い
John E. West版(Novello)。ナチュラル記号が無いことにクエスチョンマーク
John E. West版(Novello)。ナチュラル記号が無いことにクエスチョンマーク
Harvey Grace版(Novello)。注釈を読めとアスタリクスクあり
Harvey Grace版(Novello)。注釈を読めとアスタリクスクあり
批判校訂版(Carus)。ナチュラル記号が添付されている
批判校訂版(Carus)。ナチュラル記号が添付されている