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Orgelsonate Nr.8 in e-moll, op.132

オルガンソナタ第8番 ホ短調 作品132

Fuge; Intermezzo; Scherzoso; Passagaglia


 オルガンソナタ第8番の話をしたいと思う。第4番のようにマーティン・ウェイヤーの解説を和訳しようと思っていたのだが、一部どうしても翻訳できない箇所が有ったため、今回は自分の言葉で語ってみたいと思う(いや4番もだいぶ怪しいが orz)。

 

 この曲は20曲あるラインベルガーのオルガンソナタの中期(一般的に1~4が初期、5~15が中期、16~20が後期と分類される様である。ただしWebMasterは5番は初期に分類している)作品群の中の傑作の一つである(最高傑作は12番。異論は認めない)。彼のソナタの中でも、もっとも人気があり、もっとも演奏されている作品である。その人気の源は最終楽章(第4楽章)のパッサカリアにあり、パッサカリアへたどり着くための道行として優れた1~3楽章の音楽なくしては語れないであろう。特に第三楽章のScherzosoはフランスの作曲家たちによるオルガン交響曲群を先取りしており、それはこの第8ソナタをアレクサンドル・ギルマンが盛んに取り上げていたことは単なる偶然ではないとマーチン・ウェイヤーは指摘している(ギルマンはソナタ5番の第三楽章でスケルツォを採用した)。

ラインベルガーによるバッソ・オスティナート(趣味でグレイス版を表示)
ラインベルガーによるバッソ・オスティナート(趣味でグレイス版を表示)

 一般論としてオルガンのパッサカリアと言えば、大バッハの『パッサカリアとフーガ(Passacaglia und Fuga c-moll, BWV582)』が有名すぎて、ほかに出てこないのだが(あとは北ドイツ・オルガン楽派の連中の作品も少しは演奏されるかな)、大バッハ以降はめぼしいものが無くなってしまう(その意味ではラインベルガーも同じだが)。ラインベルガーは若い時期からパッサカリアの形式に着目しており(例えばピアノ作品だが、『練習曲形式の24の前奏曲 op.14』の22番で試みている。またその後の小品集『12曲の性格的作品 作品156』の11番や『黙想 12曲のオルガン作品op.167』においての10番は最上声部に主題を任せる異色のパッサカリアもある。パッサカリアとは題されていないが、バッソ・オスティナートの手法の作品が他にも散見され、この形式への関心の高さがうかがえる)、満を持してオルガンのためのパッサカリアを発表したのである。大バッハの21回変奏されるそれを超え、27回変奏されるバッソ・オスティナーソの重低音は、弱音から始まりぐいぐいと肝臓に食い込んでくる。そう肝臓だ。WebMasterにはわかる。

 作品は1882年10月7日から20日にかけて下書き(10/7-15)・浄書(10/16-20)が行われた。ラインベルガーにしては珍しく、誰にも献呈を行っていない(当時の彼は作曲家として十分認められいたため、自己作品の宣伝目的としての献呈は意味を成していない。献呈を受けた者にとっては本当に名誉なことであった)。

 

 イギリスのオルガニスト兼音楽雑誌編集者、ハーヴェイ・グレイスは自身による校訂譜にて「この曲はレーガーやカルク=エーレルトですら足元に及ばず、この作品に匹敵できるのは大バッハのそれだけである」とべた褒めである。そしてこの第8ソナタはラインベルガー自身も最高級の自信作とみなしている節がある。

 

 彼はいくつかの自己の作品をピアノ連弾用にリダクションを行っている。交響曲・序曲・協奏曲・室内楽曲と主だった作品は軒並みリダクションされている。それは時代的にピアノが教会・学校・家庭などへと社会インフラの一部として当時の蒸気・鉄鋼・鉄道などのように広く浸透し、経済のけん引役も果たしていた時代である。婦女子の情操教育の一環としてピアノ作品の需要は高く、出版すれば売れる、売れる作品を書く作曲家は引っ張りだこであった。また多くの作曲家も自作のスケッチ・試演用にピアノ連弾作品を作っていた。まだレコードなどの録音機器があるわけない、家庭内での楽しみとして連弾作品は大変人気がある時代であった。そしてラインベルガーも自己の作品の普及のために、そうオルガンや室内楽作品などはどうしても人と場所を選ぶが、ピアノ連弾ならピアノ1台と演奏者二人ですむ、また自身の家庭での楽しみのために連弾作品を作っていた(ラインベルガー夫妻は夕刻の娯楽としてピアノ連弾を楽しんでいた)。

 

 ルーティーンの一環としてラインベルガーは連弾バージョンを作り続けた。オリジナルができたら間をおかずにピアノ連弾バージョンを作り出版社は喜んで発行した。オルガンソナタは2番から17番までの16作品がピアノ連弾用にリダクションされた。当然この8番も同様であり、10月27日にそのバージョンが完成され翌年8月に出版された。

 

 おそらくラインベルガーがもっとも愛した旋律はソナタ第4番の第2楽章・インテルメッツォだと思う。その調べはピアノ連弾用のあと、7番のようにオーボエとオルガンのための作品『アンダンテ・パストラーレ』と題して発表された。その2年後には『ベツレヘムの星 op.164』の第2楽章「羊飼い」のテーマに転用された。「羊飼い」は妻ファニーがことのほかお気に入りだった調べであり、彼女の臨終間際に奏でてあげたのだった。そしてこの第4番(第7番も)のように、第8番も任意の楽章を独立して編曲が行うのであった。

 

 ライベルガーは第4楽章のパッサカリアに並々ならぬ自信があったのであろう、ピアノ独奏用バージョンを作り出すのである。連弾バージョンが完成して間もなく、10月31日には「演奏会用に自由に編曲」と注釈し2手ピアノ独奏用バージョンを完成させるのである。自己のオルガン作品をピアノ独奏用に編曲した例は後にも先にもこのパッサカリアのみのことであり、これは稀有な例なのである。話はそれだけにとどまらない。ソナタ第4番のようにラインベルガーは自己の単独器楽作品に対し、編成を広げて音色豊かな作品に広げる編曲も手掛けている(その意味ではフランスのウィドールやヴィエルヌなどオルガンにすべてを詰め込もうとした作曲家とは真逆になる)。そしてパッサカリアである。

 

 ラインベルガーは原曲作成から5年後、パッサカリアをフル編成管弦楽バージョンに拡張してしまう。その最大の特徴である、重低音のバッソ・オスティナーソの効果を十分に引き出しコントラバスの性能を生かすべく、原曲のホ短調からヘ短調に移調してである(原曲のペダル鍵盤でもっとも低い音はDisであるが、基本コントラバスのIV弦開放音はE。ゆえにEが最も低い音となるよう半音上に移調している)。このオーケストラバージョンもオリジナルのオルガンソナタ、4手2手のピアノバージョンとともにライプチヒのフォアベルクから出版された。また1888年9月のハンブルクでの演奏記録が最も古く、これが初演ではないかと言われる。

 

 オリジナルのオルガンのためのパッサカリアに話を戻そう。この最終楽章は人気が高いため、しばしば単独で演奏される。単独で演奏されるのはいいが、よく「Introduction and Passacaglia(導入とパッサカリア)」と題されて演奏されることもある。オリジナルのラインベルガー指示ではパッサカリアそのものは、バッソ・オスティナーソから開始されるが、そもそもこの曲は4楽章構成のソナタである。第4楽章のパッサカリアは第3楽章からアタッカで演奏されるのが本来の形である(マニュスクリプトには示唆されていないがウェイヤー校訂の批判校訂版では示唆されている。)。だが、イントロが着くことがよくある。第1楽章の導入部16小節が付されたのち、厳かなパッサカリアが開始される。このイントロ部分は非常に劇的に開始されるので非常に効果的である。マーティン・ウェイヤーによればハーヴェイ・グレイスによるサジェスチョンだという。ウェイヤー校訂によるラインベルガー・オルガン曲集(Forberg)にはイントロが付された編集で採用されている。だが、上記の2手ピアノ独奏や管弦楽バージョンではすでにラインベルガー自身が第1楽章のイントロ部分を付け加えているので、それほど独創的なものではない。おそらくかなり早い段階からイントロ付で単独演奏されていたのだろう。

わかりづらいけど、ウェイヤー編集の「導入とパッサカリア」の冒頭部分。
わかりづらいけど、ウェイヤー編集の「導入とパッサカリア」の冒頭部分。

 パッサカリアの影響力、いや破壊力に触れてみよう。まず先に触れたハーヴェイ・グレイスはその著書で「パッサカリアは試験課題として有用なものである」と述べている。事実とあるオルガニストにパッサカリアの話をしてみたら、「ああ、あれ」的に答えてくれたので、必修科目のようなものとなっているようだ。世間一般では大バッハのパッサカリアですら怪しいが、業界では有名なのである。次に影響を受けたのはラインベルガーを心の師匠と慕ったマックス・レーガーである。レーガーは影響を受けすぎて半ばすたれてしまっていたパッサカリア(及びオスティナート作品)をオルガンもピアノも大量に作ってしまう。一体いくつあるのかよくわからない。当時忘れかけられたこの形式を「再発見」し、レーガーに伝授したのはラインベルガーであるとフェリックス・ロイは指摘している(大バッハの時代でさえ忘れかけらていたらしいけど)。ラインベルガーは英語圏で非常に人があった作曲家だが(グレイスはイギリス人。ラインベルガーの復権は英語圏での脈々と受け継がれていたからこそなった)、イギリスではジョン・E・ウェスト(1863-1929)というグレイスの同僚作曲家兼音楽編集者がいる。ウェストはオルガンソナタ第1番のNovelloにて校訂を行ったが、やはりラインベルガーを尊敬しすぎて、『ヨーゼフ・ラインベルガーの思い出に』というオルガン作品をラインベルガーに送っている。その素材はパッサカリアである。現代になってもまだまだ続く。1932年生まれのアラン・ギッブスというやはりイギリスの作曲家はラインベルガー生誕150周年のため、マーティン・ウェイヤーの委嘱により『ライベルガーへの賛美』というオルガン曲を1989年に発表している。素材はソナタ第8番であり、その主要主題は恐ろしいほどの魔改造を施した、第4楽章のパッサカリアである。

ギッブスの冒頭部分。第一楽章の第一主題から展開していく
ギッブスの冒頭部分。第一楽章の第一主題から展開していく

  レーガーもそうだが、ウェストやギップスなんてまだまだ小物。さらにすごい話がある。スティーブン・ウェストロップ(helios : CDH55211)によれば、ブラームスの交響曲第4番の最終楽章はラインベルガーのオルガンソナタ第8番のパッサカリアを研究した結果生み出されたものである、と断言している。嘘だと思うだろ、WebMasterは20世紀のころかなりの数のブラームス関連の書籍を読んだがラインベルガーからの影響なんてついぞ見たことがない(そもそも20世紀中に日本で出版された音楽史・作曲家の本でカタカナで"ラインベルガー"と記した本は存在しない。90年代WebMasterは腐るほど本を読み漁ったが、絶対出てこない)。にわかには信じられないがウェストロップは断言するのである。フェリックス・ロイも当時の論評を基に間接的に指摘している。やはりマーティン・ウェイヤーも断言している。ちょっと考えてみるとうなずけない話でもない。そもそもパッサカリア(≒シャコンヌ)をオーケストラ作品にした作曲家はブラームスが嚆矢と言っていい。ちょっとググればわかるが、現代の作曲家を除けば、ほとんど見当たらないのである。強いて言えばウェーベルンぐらいなのである(あ、ストコフスキーの編曲は除外ね)。ラインベルガーがオルガンソナタ第8番を作ったのが、1882年。ブラームスの交響曲4番は1883-1884年。オケ版パッサカリアは1887年(出版年。正確な完成日時はわかっていない)。そして両者はそれなりに親交があった仲。互いに影響しあうことは想像に難くない。難くないというか、フェリックス・ロイもやはり同様の意見を述べている。

 影響力は後世の後輩たちだけではない。先達たちの作品の復権にも関わっている。マーティン・ウェイヤーによれば、そもそも19世紀ロマン派の時代にはバッソ・オスティナート奏法など時代遅れの形式であった。大バッハのパッサカリアBWV582なんて、廃れてしまっていたと言っていい。ここで大物リストが登場する。彼は1859年に『バッハのカンタータ「泣き、嘆き、悲しみ、おののき」とロ短調ミサ曲の「十字架につけられ」の通奏低音による変奏曲』の最初のピアノスケッチを行い。1862/63にかけて完成させている。ラインベルガーに先立つこと20年である。現代でこそオルガン曲の大曲としてしばしば演奏されるが、当時は鳴かず飛ばずで、ラインベルガーのパッサカリのように後継者・模倣者をほとんど生み出せなかったのである。逆を言えば、ラインベルガーのパッサカリアがあったからこそ、今日の知名度が生まれたのだ。これは大バッハのBWV582も同様である。今日の演奏家はこれらの曲が重要なレパートリーとしているが、この事実を知らない。ラインベルガーには足を向けて眠れないはずなのだが。

 ラインベルガーという人はワグネリアンでも新ドイツ楽派でもなく、調性やリズムにもそれほど挑戦しなかった。といって、ブラームスのようにそれほど革新性があったわけでもないし、国民楽派のように民族固有の音楽に手を染めたわけでもない。彼は旅こそはしなかったが、国際人だったことが仇となっている。無理やり分類すれば新古典主義といって言いのではないか? ヒンデミットの先駆けなのだろう。早すぎたのである。また宗教音楽家としては、宗教音楽の簡素・清貧・浄化をモットーとしたセシリア運動家から非難を受けていた。運が悪いことにバッハや北ドイツオルガン学派のオルガン音楽が見なおされ、かつピリオド楽器の使用が起ってくると後期ロマン派の時代のオルガン音楽は軽視されだすのであった(更に間が悪いのは都市の大教会や音楽ホールが第1次世界大戦・第2次世界大戦で破壊され、ラインベルガーのオルガン作品を奏でるのにふさわしい大オルガンの姿が無くなったことである。あとに残されたオルガンは片田舎のバロック期の作品を奏でるのことで精いっぱいの機能の少ないオルガンばかりであった。そのような不幸なめぐりあわせが彼の音楽が忘れ去られていくファクターとなっている。なお正確を期して言えばラインベルガーのオルガン作品は非常にシンプルな指示しかされておらず。バロック期のオルガン作品のようにオルガニストのレジストリー作成の力量が試さるものばかりであるが)。すでに存命中の1880年代ごろからは専門家においては時代遅れと目されていた。彼は一般聴衆に受ける、わかりやすい音楽を多数書いたが、やはり流行音楽だったのだろう、20世紀においてはあっという間に忘れさられていった。


 細々とオルガン音楽が英語圏を中心に演奏され、やがて宗教音楽も見直されだし、今日の復権につながっている。復権と言ってもやはり演奏されるのはオルガン音楽と宗教曲ばかりだが(日本においては宗教曲は盛んに演奏されるが、彼の人生・音楽においてどれほど自覚して演奏されているのだろうか)。


 彼は教育者として大変優れていたが(その割にフンパーディンクやヴォルフ=フェラーリぐらいしか名前が上がらないが、この二人の作品をいったいどれだけの人が知っているのだろうか?)、その作品の後世への影響力は計り知れない。今後はフランス・オルガン楽派への影響などについて考えられたらと思っている。