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Suite in c op.166

組曲 op.166

ヴァイオリンとオルガンまたはピアノのための


1番のPräludiumと4番のMoto perpetuo(無窮動)

初版表紙。「ヴァイオリンとオルガンまたピアノのため」と書かれている
初版表紙。「ヴァイオリンとオルガンまたピアノのため」と書かれている
清書表紙。「ヴァイオリン(ソロもしくは大きなアンサンブル)とオルガンのため」と書かれている。BSB Mus.ms. 4636
清書表紙。「ヴァイオリン(ソロもしくは大きなアンサンブル)とオルガンのため」と書かれている。BSB Mus.ms. 4636
第四楽章「無窮動」ピアノバージョン
第四楽章「無窮動」ピアノバージョン
  1. Präludium
  2. Canzone
  3. Allemande
  4. Moto perpetuo

 

 妻フランチスカは「オルガンは、やはり彼の愛する楽器でした」と語ったという。オルガンを非常に愛したラインベルガーは他のオルガン系作曲家と異なり、オルガンと他の楽器との組み合わせによる室内楽作品を生み出したかなり珍しい作曲家である。最も演奏されるのはオルガン、ヴァイオリンとチェロとのための『組曲 ハ短調 作品149』とヴァイオリンとオルガンのための『6つの小品 作品150』があげれる。特に後者は今日の日本でもオルガニストのアンサンブル作品として、しばしば取り上げられる。オルガンと他の楽器によるアンサンブル作品はほとんどが従来の作品の編曲ものが多く、オリジナル作品を提供したラインベルガーは貴重な存在だと実際に耳にしている。この2作品だけでなく、オーボエとオルガンの作品も存在しているが、ヴァイオリンに限ればもう1作ラインベルガーは生み出している。それが『Suite in c op.166 組曲 作品166』である。どの作品も1887年のop.149を皮切りに、1890年にかけて集中的に作られている。

 

 この曲は当初はヴァイオリンソロとオルガンを念頭に置かれて作られたものではなく、もっと大きな編成のために企画されていた。元々メーアスブルクの音楽監督ハインリッヒ・ヘーニッヒによる1889年8月12日付の手紙がきっかけであった。彼はヴァイオリンの教科書のために作曲家にヴァイオリンとオルガンもしくはピアノのアンサンブル作品を依頼している。その際、生徒達全員(大体25人ぐらい)がグループで演奏できることを念頭に置くよう頼んでいる。ラインベルガーはヘーニッヒの依頼にすぐ応えて1週間以内に取りかかると返答している。ヘーニッヒとのやりとりにより彼の希望を受け入れた作曲家は第一楽章書き始める。この直筆清書の表紙には「ヴァイオリン(ソロもしくは大きなアンサンブル)とオルガンのため」と書かれていたが、出版譜の表紙においては「ヴァイオリンとオルガンもしくはピアノのため」と直されている。

 

 第1楽章「Präludium 前奏曲」の清書は1989年10月7日に完成し、ヘーニッヒはすぐに感謝の手紙を送っている。だが、残りの3つの楽章は1890年の11月30日まで完成させなかった(第2楽章のCanzoneは11月21日第3楽章のAllemandeはおそらく第4楽章と同日に完成と思われる)。組曲は翌年ライプツィヒのロイッカールトから出版され、ピアノ版もオルガン版と同時に刊行された。最終楽章は下書きでは「Finale」と題されていたが、直筆清書のでは「Perpetuum mobile」と直され、出版に際して「Moto perpetuo 無窮動」とされた。

 

 初演は作品を献呈されたルードヴィッヒ・アーベルの指揮による、1895年のミュンヘンオデオンホールでの王立音楽院マチネーまで行われなかった。その模様は1895年3月12日付けのミュンヘン新報にて伝えられている。出版から4年も経っているためこの演奏が実際に世界初演なのか正確なところははっきりしないが、ミュンヘンでの最初の演奏である。この際、ヴァイオリンはソロ演奏ではなく、一団のヴァイオリニストにより担当された。

 

 現代においては当初の企画のミュンヘン初演時のように多数のヴァイオリニストを要せず、初版楽譜表紙に示されているようにヴァイオリンパートはソリストによる演奏が行われている。(でもCarus社から出ている楽譜をよく見ると、「ソロヴァイオリン(または多数のヴァイオリン)のため版」と書かれていたりするんですけどね)