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Messe in B op.172


Ave Maria


オルガン版清書。出典:Bayerische Staatsbibliothek München, Signatur BSB Mus.ms. 4642-1
オルガン版清書。出典:Bayerische Staatsbibliothek München, Signatur BSB Mus.ms. 4642-1

ブラス版清書。出典:Bayerische Staatsbibliothek München, Signatur BSB Mus.ms. 4642-2
ブラス版清書。出典:Bayerische Staatsbibliothek München, Signatur BSB Mus.ms. 4642-2

 『Messe in B op.172 ミサ曲 変ロ長調 作品172』も従来のラインベルガーのミサ曲からすれば、異色の作品である。だが、その優れた歌謡性、陶酔感、慣習的構造、どれをとっても出色の出来であり、かつての生徒ヨーゼフ・レンナー・ジュニアによって「作者のすべての美点を特に高いレベルでまとめて」おり、彼のミサ曲の中でも「傑出した地位」を占めると言わしめるのも納得ができる。


 作曲家にとっての最初の男声合唱のためのミサ曲である。当初オルガン伴奏にて作曲され、直ぐにティンパニーとコントラバスを伴うブラスバンド伴奏バージョンが作られた。作曲・編曲の動機はわからない。オルガンとブラスの2つのバージョンは同様に正式なものであり、ブラス版はディナーミックその他演奏指示の点において、オルガン版とはだいぶ異なるが、2つの版に音楽的相違はない。円熟期以降のラインベルガーには例外的に『イ長調のミサ曲 作品126』、『ハ長調のミサ曲 作品169』とオーケストラ伴奏のミサ曲があるが、この作品もその流れに連なり、異彩を放っている。


 オルガン版は1892年4月29日から5月13日にかけて下書が行われ、5月9日から19日にかけて清書がなされた。その直後、5月23日から6月7日の間にブラス版の総譜が作成されている。この2つのバージョンには共にグロリアとクレドの間に、無伴奏男声四部合唱の「Ave Maria」を挿入している。出版は同年中にライプツィッヒのロイッカールトからなされた。


 このアヴェ・マリアの挿入も異色である。差し挟んだ明確な理由はわからない。この小品の下書きは10月8日に行われているので、当初のミサ曲の構想には入っていない。清書は10月10日に出来上がっている。作曲家はこの小品を残したかったが、単品では出版できないという経済的な理由で残したのかもしれない。1894年2月2日 - マリアの清めの祝日(主の奉献の祝日) - にブレスラウ大聖堂にての初演されることが1892年末には決定されており、故に聖母への祈りが追加されたのかもしれない。なお初演時にどちらのバージョンにて演奏されたのかは定かではない。


 アヴェ・マリアはミサ通常文にもミサ固有唱にも含まれないし、それが歌われる定まった箇所はない。このミサ曲では典礼のグラドゥアーレ・昇階唱に配置されているが、そもそもがオフェリトリウム・奉献唱であるため、本来は別の箇所で歌われるべきである。Ave Mariaをオッフェリトリウムとしてクレドとベネディクトゥスの間に配置しているミサ曲としては、ゴッラー(Vinzenz Goller/独・1873-1953)の『Missa in honorem B.M.V. de Loreto, Op.25 ロレートの黒い聖母を讃えるミサ曲 作品25』などがある。ラインベルガーのアヴェ・マリアはもちろん省略して演奏してもよい。


 キリエはバリトンパートによって歌い始められ、ほかの声部と呼応し、ホモフォニックとポリフォニックなパッセージが緩やかに結びついて交互に繰り返される。グロリアはホモフォニックでバスとテノールが相互にかけあい、またはトップテノールが多彩にほかの声部と絡み合う。冒頭箇所のリズミカルな歌いだしは、同様に小オーケストラを配した作品126のグロリアを連想させる。アヴェ・マリアは「fructus ventris tui」に続く「Jesus」という単語が欠落している。また結部を「Amen」で締めくくらず、「Ave Maria」で終了しており、レギュレーション違反であることから当時のセシリア主義者からの格好の攻撃材料であった。グロリアのイントナチオンは司祭によって歌われ、クレドも同様である。このミサ曲の最大の胆は、このクレドの中央箇所にある。トップテノールソロによってリードされる「Et incarnatus est」だ。表現力の豊かさを高めるため他の声部と呼応しあう。ラインベルガーはいかなる霊感にてこの箇所を創作したのであろうか? 古今のキリストの復活を描いた場面でも出色のできである。最後は2つのテーマ(「Et vitam」と「Amen」)が絡み合ったほとんどのミサ曲で封印していた、ドッペルフーガにて終了し、当代きっての対位法の使い手の面目躍如となっている。サンクトゥスは厳粛に始まり、より速いテンポの「オザンナ」につながる。その中間部「Pleni sunt coeli et gloria tua」にて陶酔感による神の栄光を表現する。ベネディクトゥスは6/8拍子で静かに揺られながら、再びトップテノールソロがほかの声部と、「オザンナ」が再現されるまで交唱を行う。クレドの「Et incarnatus est」もそうだが、もちろんこのソロはパート全体で歌ってもよいし、小合唱でもよい。ヴィルトオーゾなテクニックは要求されないが、ラインベルガーの作品でソロを要求するのは珍しい。この2ヶ所のソロの歌謡性の高さが、バロック指向の強い作風の作曲家にもかかわらず、異色の風貌を示してる。またほとんどのミサ曲ではカノンの形式をとっていたのに、この曲では採用されていない。アニュス・デイはバスのユニゾンから始まり、次の主題再現はテノールによってさらに熱烈に再現される。三度現れる主題はバス-テノール-バスによって歌いつがれる。伝統的習慣にしたがって「Dona nobis pacem」はキリエの結部を再現している。これは今までのミサ曲では(この曲以後も)ラインベルガーは採用しなかった形式だ。全体の伴奏は合唱を圧倒することはなく、主題を発展させ、合唱を補強するとともに独立もしている。


 この曲は1892年、妻フランチスカが完全に臥せっている年に作曲された。彼女は心の病にも蝕まれており、ラインベルガー家の空気は最悪の状態であった。故郷ファドゥーツから、姪が世話をしに住みこんでいてくれたが、彼女の看病のためラインベルガーは創作停滞期に陥っていた。その年の大晦日に妻は亡くなってしまう。このミサ曲を作曲していた時、そして「Ave Maria」を10月に作曲し挿入しようと思い立ったとき、彼の心境は如何ばかりの物であったのだろうか? 作品に個人的事情を差し挟まない作曲家は、決して自作を語ってくれない。心の中で泣きながら書いていたのではないだろうか。