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Mese in E op.192

"Misericordias Domoni"



初版表紙
初版表紙

KyrieからGloriaにかけてのスケッチ。出典:Bayerische Staatsbibliothek München, Signatur BSB Mus.ms.  4739 b-6
KyrieからGloriaにかけてのスケッチ。出典:Bayerische Staatsbibliothek München, Signatur BSB Mus.ms. 4739 b-6

 ラインベルガーの作品を数多く刊行した出版は数多いが、特にライプツィッヒのロイッカールト社と、同地のフォアベルク社があげられる。両社は声楽曲、器楽曲を問わず多くの作品を取り扱っている。ラインベルガーのミサ曲は、すでにフォアベルク社のカタログに2曲の無伴奏混声合唱(作品83と作品117)、2曲の女声合唱とオルガンのための作品(作品155と作品187)。そして男声合唱とオルガンのための作品1901曲。合計5曲のミサ曲が掲載されていた。フォアベルク社は混声合唱とオルガンのための作品を出版しておらず、1899年1月12日付の手紙で、作曲家に新作を要請したのは至極当然であった。

 

 ラインベルガーからの返信は見つかっていないが、明らかにこの要請に応えて、新作のスケッチが行われている。1週間後の1/19にキリエを皮切りに、22日にグロリア、クレドとサンクトゥスが29日。2月1日にベネディクトゥス。翌2日にアニュス・デイが書かれ、2月17日にサンクトゥスの新しいエンディングが完成している。これがのちに『Messe in E op.192 "Misericordias Domoni" ミサ曲 ホ長調 作品192 ”主の憐れみ”』となる。

 

 ただし、作品192は清書原稿が失われてしまったため、以後の完成した正確な日付はわかっていない。おそらく清書は通常のスピードで完成し、すぐにフォアベルクに送られたのであろう。4月5日付のフォアベルクからの手紙にて、最初の依頼から3か月で校正刷りがを作曲家に送っている段階まで来ていることが判明しており、以後は1899年中に出版されている事以外はなにもわかっていない。

 

 また清書原稿の紛失は下書には書き込みが無かった副題「Misericordias Domoni 主の憐れみ」がどうのような経緯で選択されたのか、不明な事態を招いている。全集第3巻序文執筆者、ヴォルフガング・ホッホシュタインはこう述べている。「神の慈悲を求める訴えは、彼のおかれた人生から生じたものかもしれない」。

 

 ラインベルガーは下書き余白に、短い言葉を書き込んでおく癖があった。おそらく記憶の助けに通常文をメモしておいたのだろう。単語数の多いグロリアとクレドのテキストの書き込みがままある。作品192のグロリアの場合は「propter magnam gloriam tuam;」(*註)から始まるが、彼はその直前、「benedicimus te, adoramus te」と書くべきところをセンテンスの取り違えを犯してる(「adoramus te, benedicimus te」となっている)。クレドにおいても単語の欠落があり、「Et iterum venturus est [cum gloria] judicare vivos et mortuos:」の「cum gloria」。「[Qui cum patre, et filio] simul adoratur, 」の「Qui cum patre, et filio」が欠落している。彼はテキストを憶えていたつもりだろうが、欠落は下書そのものや、メモ書きにも遡れるため、きっちり把握していなかったとこがうかがえる。ホッホシュタインは「典礼のテキストはいつも完全に音声化されるわけではなく、芸術性の観点からすればたいしたことのないもの」と擁護するが、このテキストの不備は保守的なセシリア主義者からの批判を招いている。クレドのテキストの欠落はいかんともしがたいが、グロリアのセンテンスの取り違えを、典礼通りに演奏するかどうかは演奏者にゆだねられている。
(*註:ホッホシュタインは「tibi propter magnam gloriam tuam;」からと紹介しているが、これは作品197と混同しているようだ。作品192での実際の書き込みは「propter」からである)。

 

 『ミサ曲 ホ長調 作品192』は出版後、当時の音楽雑誌からまったく批評・批判を受けなかったため、当時の評判は今ひとつわからない。ただ、作曲家の教会音楽の友人2名からの手紙により言及されている。ザンクト・ガレン大聖堂カントール、エドアルド・シュテーレは1889年6月26日付けの手紙でこう述べている「あなたの素晴らしい作品192番に最大の感謝を申し上げます。この作品を送ってくださった親切はとてもうれしかったです。非常に満足し、すぐにでもこの大変すばらしい作品を、あなたの音楽に夢中な私の聖歌隊のレパートリーに加えたいと思っています」。

 

 またウィーン・ヴォーティヴ教会カントール、テオバルト・クレッチェマンが1990年の夏に、短かく、すばらしい表現をしている。

 

「あなたのミサ曲ホ長調にみんなが夢中です!」