参照される方々へ。弊サイトのデータをもとに解説を書かれる場合は出典として弊サイト名をお記し下さい。

Messe in G op.151

初稿自筆浄書、Gloria。冒頭分のテキストが「Gloria in excelsi Deo」となっている
初稿自筆浄書、Gloria。冒頭分のテキストが「Gloria in excelsi Deo」となっている
第2稿を基にした現行の楽譜、Gloria。「Et in terra...」から始まっている
第2稿を基にした現行の楽譜、Gloria。「Et in terra...」から始まっている
ロイッカールトからの初版表紙「St. Crucis」の副題はない
ロイッカールトからの初版表紙「St. Crucis」の副題はない

 ラインベルガーが出版した17曲のミサ曲中、無伴奏作品は5曲である。最後の無伴奏ミサ曲となった『Messe in G, op.151 混声合唱のためのミサ曲 ト長調 op.151』は、夏休みを過ごしていたヴィルトバット・クロイトにて1882年9月6日に初稿清書が完成された。9月14日の十字架称賛祝日に近接していることから、初稿の直筆スコアには「聖十字架 Sanctae crucis」と副題が記されている。後の第2稿は多くの改訂がなされている。最も大きな箇所は、Gloria冒頭、第2稿ではイントナチオンとされた「Gloria in excelsis Deo」に曲がつけられ、「Et in terra pax」は6小節目にやっと現れていた。この改訂などはあきらかにセシリア主義者からのそしりを逃れるためであるのは、火を見るよりも明らかである。なおCredoのイントナチオンには作曲されていない。穏健なセシリア主義者が導き出した結果なのであろう、この曲を最後にラインベルガーのミサ曲は例外を除き、オルガン伴奏を必須とするようになる。

 第2稿の直筆スコアには日付が記されていないが、別紙のメモにて1887年10月から11月にかけて完成したと確定している。同年の12月に新ためて作品番号をつけて楽譜出版社のロイッカールトに送られている。ラインベルガーのいくつかの作品の出版楽譜の表紙には"leicht ausführbar 平易に演奏できる"と記されるているが、作曲家自身によって第2稿浄書表紙にも書かれ、初稿から6年後の1888年出版されたこの曲の表紙にも記載されている。ただし「聖十字架 Sanctae crucis」の副題は第2稿にては書き記されていない。初版出版楽譜表紙にも記載はない。ただし、初稿の表記に従いしばしば「St. Crucis」と副題がつくことがままある。Carus社のウェブサイトにても「St. Crucis」と書かれているが、同社から出ている楽譜そのものにはどこにも書かれていない。この曲に副題をつけるのはあまり正しくない。

 この曲の最も古い演奏記録は1883年3月19日・聖ヨーゼフの日(おそらく初演。奇しくもラインベルガーが洗礼を受けた日付と同じ)や、1884年のしゅろの主日(4月6日)に作曲者自らのバトンにより宮廷礼拝堂にて行われている。この時の演奏はミュンヘンのテアティナー教会の記録から初稿で演奏されたことがうかがえる。ラインベルガーはその後もしばしば演奏を行い、1881年の元旦から1894年11月1日まで宮廷礼拝堂だけでも12回とりあげている。彼だけではなく、1888年以降もスイスのサンクト・ガレン大聖堂やウィーンのヴォティーフ教会でも取り上げられ、好評を博している旨のレポートが作曲家宛に届いている。


 ラインベルガーの悪い癖としてどうしても単語やセンテンスの欠落を指摘しないわけにはいかない。まずGloriaの「[Qui tollis peccata mundi,] suscipe deprecationem nostram.」のQui tollis peccata mundi,がどうしても見当たらない。ただしこれはバスと上3声にて分担を行っていると解釈するのかもしれない。だがまたCredoの「Et in spiritum sancutum [dominum], et vivificantem:」の「dominum」は完全に欠落している。

 

ヨーゼフ・レンナー・ジュニアによる、この曲の評価でこの項をしめたい。

 

「作者の性格が如実に現れています。この美しく練られた作品の中には、耳障りなものやお粗末なものはありません。徹底して高貴なメロディーは本物の芸術的手腕の全体的効果を作り出すため、素晴らしい表現力豊かなハーモニーと結びついています」