人物評
ラインベルガーにかかわった人々による人物評
(★印の物はErakko I. Rastas (@erase_m)さんにご提供をいただきました。改めましてここにお礼申し上げます。ありがとうございました)
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「バッハとモーツアルトは彼のお気に入りでした。そして講義で彼の話をする時、この温厚な男性は文字通り恍惚の状態で彼らの長所をほめたたえます。」
弟子のウォルター・ペツェットが書いた1899年3月17日ラインベルガー60才の還暦の慶事の記事
「王の音楽監督の任命は大きな喜びである。ヨーゼフ・ラインベルガー教授はヴュルナーの後任で教会音楽の宮廷楽長に就任した。それは正しく、これ以上の幸運な選択はありえない」
王とはバイエルン王・ルードヴィッヒ2世のこと。ラインベルガーが諸聖徒宮廷教会の音楽監督としての宮廷楽長のポストをに就いた着いた際、「アウグスブルク夕報」に掲載された論評(1877年9月21日)
エルマンノ・ヴォルフ=フェラーリ
「先生の下では、特にすべてのパートが歌うべきであるということを、大いに学んだ」
(合唱曲の)作曲・指導に関して
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ヨハネス・ブラームス
「…(略)…今あなたの美しい2台のピアノのためのデュオが昨日の夕方から私の耳に鮮やかに鳴り響いています。紙にペンを入れることは好きではないのですが、私はこの機会を利用しあなたの音楽全般、特に私に捧げていただいた魅力的な作品[ = Klaviervorträge ピアノ曲 作品45]について感謝いたします。…(中略)…快適でなければいけませんよ。あなたが生活し作曲を行う、美しい家庭は」
ラインベルガーから『二つの演奏会用ピアノ曲 作品45』の献呈を受けた際のブラームスの返礼の手紙。
前半部分は特にラインベルガーの『Duo 二重奏曲 作品15』を高く評価している。後半部分ブラームスは既婚者のラインベルガーをうらやんで、皮肉っぽく言ったとか(1871年2月28日)
※2020/Feb/8に前半部分を追加しました
ハンス・フォン・ビューロー
「有能で、洗練され学生への愛情といい、ドイツやその周辺の土地において比類なき本当の理想的な作曲の教師で、一言で言えば世界でもっとも立派な音楽家の一人で...しかし私は彼の作曲家としての永遠性を保証できない。それにもかかわらず私は彼が進出している全ての分野において彼の業績を非常に評価している」
(2019/Mar/02再修正し、一つにまとめました)
ハンス・フォン・ビューロー書簡集第6巻p.482
1871年5月5日付けのビューローからオイゲン・シュピトェク宛ての手紙
https://archive.org/details/briefeundschrift05bl/page/482
★トッカータ op.12の献呈を受けた際、「スカルラッティの再来(Scarlatti redivivus)」と評価している。また「左手のための練習曲集 Pianofortestudien für die linke Hand allein op.113」を「貴賤結婚 (左手婚) の曲集(morganatische Stücke)」と評している。ピアノソナタ第1番を絶賛している。
Bülow, ”Briefe und Schriften”, III p.186
https://archive.org/stream/briefeundschrift03blow#page/185/mode/1up
ハンス・フォン・ビューローがチャイコフスキーに着けた評価
「モスクワのラインベルガーだな」
„den Rheinberger Moskaus, weniger gelehrt, aber auch weniger trocken"
"Rheinberger of Moscow, less learned, but also less dry."
★Theodor Kroyer, "Joseph Rheinberger" (Regensburg, 1916), p.84
★ピョートル・チャイコフスキー がフォン・メック夫人 Nadezhda von Meck に宛てた手紙 1879-01-26/02-07
http://en.tchaikovsky-research.net/pages/Letter_1083
http://en.tchaikovsky-research.net/pages/Johannes_Brahms#In_Tchaikovsky.27s_Letters
「彼[ビューロー]による評価にはとても奇妙なものもある。ある手紙でこう書いた、彼の見立てでは音楽の未来は5人にかかっている、ラフ、ブラームス、サンサーンス、ラインベルガー、そして私[チャイコフスキー]だと。私が前の3名と同列なのは光栄だが、ラインベルガーの隣というのには驚いた。彼はラインベルガーに何を見たのだろう。私はラフ、ブラームス (好みでもないが尊敬はする)、それにサンサーンスの信奉者[狩人 охотник]でもないが、彼らは大物[エース тузы]だ。それに対して、ラインベルガーは絶対的零[абсолютный нуль]にほぼ等しい。」
リヒャルト・ワーグナー(R・シュトラウスの回想録より)
「ご覧の通り、ラインベルガー教授は大した芸術家だよ。なにしろ5時から6時まで作曲をしている。わたしなんて好事家。インスピレーションがわいた時しか書けないのに」
ヴィルヘルム・フルトベングラー
「自然であることが音楽を作るうえで最上の法則である。それは声部書法、構造の形式、表現の自然らしさ」と先生は語った
ウェストン・ニッコル (1875-1925) ラインベルガーの生徒
「多くのラインベルガーの生徒は... 深い畏敬の念を抱いていた。称賛と尊敬が入り混じっているのが普通の感情だった。完璧に簡潔で、正直で素直であり、彼自身の代替はあり得ず、彼は誰もが同じであることを期待し学生側の努力の欠如をのみ𠮟責した。これは彼のオルガンクラスをことさら選択した4人の生徒において、最も顕著であった。事実彼のためにオルガン演奏を行うことにおいて、技術的に完璧であることを期待し実際に求められた。二人のドイツ人、アメリカ人が一人、イギリス人が一人のラインベルガーの4人の生徒は、先生を満足させるために非常に努力しなければならなかった。技術的な失態で先生は眉をひそめ、のちのレッスンにて同じ間違いを起こしたならば諫めるのであった。」
ハンス=ヨゼフ・イルメン(研究者)
「ワーグナーとリストから尊敬され、ブルックナーとコーネリアスは畏怖し、ブラームスとハンス・フォン・ビューローと親しみ、レーガーとフンパーディンクから称賛され」た
Fugenseppl
ラインベルガーは存命中対位法の大家として認識されていた。あまりににもフーガにこだわるため、教え子たちから「Fugenseppl フーガ馬鹿」とあだ名をつけられていた。