オルガン協奏曲演奏史

 どうしてもラインベルガーという人はミサ曲を除くと、オルガンがらみの作品しか演奏されないきらいがある。しかも特定のオルガンソナタか、オルガンと独奏楽器のアンサンブル。WebMaster的には管弦楽作品も生演奏で聴いてみたいな~。


 でだ、まだ比較的に演奏されている作品として、2つの「オルガン協奏曲」がある。これらはいろいろググると演奏の記録が出てくる。そこでそれらの記録をまとめてみるかなと.....数えたら少ね~~~(゜o゜)。なんせ数えられるくらいだからね~ orz。

 

 もうとにかく下記の演奏団体には拍手。素晴らしい。でも解説は微妙だったりするのは御愛嬌だ(中にはひっくり返る内容があるが覆水盆に返らず)。なんせWebMasterがサイト構築前だからどうしようもないだろう。

 

 下記以外に演奏の情報をお持ちの方はご連絡ください。できたら当日のパンフレットのコピー(PDFファイルを希望)をいただけましたら、掲載の上「あんたは偉い」とほめたたえさせていただきます。

 

 実演で聴いてみて~~よ~~o( `ω´)o


今回のページを作るにあたり、各団体様には資料をお分けいただき、大変ありがとうございました。連絡がいただけない方はネット上での状況証拠で判断しまして掲載いたしました。


参照される方々へ。弊サイトのデータをもとに解説を書かれる場合は出典として弊サイト名をお記し下さい。


オルガン協奏曲#1 F-Dur, op.137

#1

2003/Jul/06

バッハ・アカデミー管弦楽団

@所沢市民文化センター ミューズ・アークホール

指揮・牧野成史

独奏・ベルンハルト・グフレラー

※本邦初演


#2

2007/Sep/02

大阪シンフォニカー交響楽団

(現:大阪交響楽団)

第120回定期演奏会

@ザ・シンフォニーホール

指揮・児玉 宏

独奏・鈴木隆太


#3

2008/Sep/20

バッハ・アカデミー管弦楽団

@所沢市民文化センター ミューズ・アークホール

指揮・牧野成史

独奏・ベルンハルト・グフレラー


#4

2013/Dec/06

フェリス管弦アンサンブル第12回定期演奏会

~オーディションで選ばれたソリストを迎えて~

@フェリスホール

フェリス管弦アンサンブル

指揮・飯吉 高

独奏・大政葉月

1st Movement


協奏曲1番 私的考察

 WebMasterが見つけたわけではが、ベルリオーズはその著書『管弦楽法』で「オルガンの作曲は演奏に携わっていないと難しいんだよね~。あとオルガンってオケの楽器群と相性が悪いんだ~(゜3゜)」と述べているとか。もともとオルガンとは不器用な楽器なのである。実際オケのようにダイナミクスチェンジをすぐに行えない。また音量のバランスを取るのが難しい。そもそもオルガンは1台1台全てが違う代物だから、リハーサルがゲネプロ一発勝負と、かなりタイトになりかねない。気難し家と言ってもいい。だが実際はベルリオーズは自己の作品で例えば『テ・デウム』や『管弦楽法』を増補したR.シュトラウスは『ツァラトゥストラはこう言った』や『アルペン交響曲』に使用したりしてるわけだが。

 

 Wikipediaの「オルガン協奏曲」の項目を見ると、オルガンと管弦楽による組み合わせの楽曲はとても少ない。特にバロックからロマン派の時代にかけてだけを見ても、ハイドンを除けば数えるほどしかない。

 

 その中で特筆すべき成功作はやはり、ドビュッシーをして「彼ほどの音楽通は世界広しといえどもいない。」と言わしめたほどの博覧強記・サン=サーンス(1835-1921)の『交響曲第3番「オルガン付き」』(以下「オルガン付き」)だろう。作曲家自身が「この曲には私が注ぎ込める全てを注ぎ込んだ」と述べるほど情報量満載の曲。この曲の成功により、以後近代から現代においてオルガンとオーケストラのアンサンブルが増えたのではないだろうか。だが、サン=サーンスがあれだけオルガンを前面に出しているのはなぜなのだろう。ほとんど彼について調べたことがない、WebMasterがいうにはおこがましいが、一つの推測がある。

 

 「オルガン付き」は1886年に作曲されたが、これに先立つ作品がある。そうラインベルガーの『オルガン協奏曲 第1番 op.137』(以下「1番」)である。

 

 「1番」は1884年の6月、わずか17日間という短期間で、爆発的に書き上げられた。結婚した前後30才手前の(1867年)頃からこのころのラインベルガーは右手の人差し指に疾患が始まり、ピアノ・オルガンの演奏どころか、満足に鉛筆も持てない最悪のコンディション状態であった。「皮膚潰瘍」であったという。この時期はほとんどの作品の清書を妻・ファニーが行っている。ラインベルガー自身はもがき苦しみながら、「1番」を書き上げ、指が回復してきた感謝の気持ちとして『スターバト・マーテル』を次に書く事を誓う。

 

 不屈の精神で書き上げた「1番」は非常に編成が小さいものとなってる。主役のオルガンに寄り添うのは弦楽合奏と3本のホルンだけである。そもそもオルガンそのものは管楽器であり、またオーケストラとのバランスを取ることが難しい。オルガンのエキスパートゆえの楽器の選定なのだろう。ホルンは均質的に鳴り響くことが得られる理想的な楽器なのだ言う。

 

 さて、この「1番」は1884年の11月16日にライプツィヒ音楽院の教授でゲバントハウス管弦楽団のオルガニスト、パウル・ホーマイヤーのソロにて「聖パウロ教会」にて執り行われた(ただし記録があいまいなためよくわかっていない。そもそもこの教会が特定できていない)。ちなみにミュンヘンでの初演は1885年1月25日。

 

 ここで話はフランスに飛ぶサン=サーンスより2才年下、ラインベルガーの2才年上のオルガン・ヴィルトオーゾ、アレクサンドル・ギルマン(1837-1911)である。彼は非常にラインベルガーと馬が合う人であった。国は違えど幼いころから教会オルガニストを勤めたり、同じように音楽院の教授を勤めたりと不思議に似たような境遇であり、親近感があったのかもしれない。ギルマンは盛んに自身のリサイタルでラインベルガーのオルガン・ソナタを取り上げていた。特にソナタ8番はかなり取り上げており、その第3楽章「スケルツオソ」は後のフランス・オルガン学派による「オルガン交響曲」群での「スケルツォ」の採用に決定的な影響を与えたという。ギルマンは1984年に旧トロカデロ宮殿でのリサイタルにおいて「1番」を取り上げているのである。これが翌年のギルマンへのオルガンソナタ9番献呈となっていく。フランス初演の日付は特定できていないが、9番の献呈に対する1885年の返礼の手紙に「昨年受け取った素晴らしい協奏曲を繰り返す」と記している。早い時期にフランス初演が行われたことがうかがえる。この返礼の手紙の日付は1885年の10月2日、サン=サーンスの「オルガン付き」よりも早いのである。サン=サーンス自身も教会オルガニストだった経験もあるし、ある程度のオルガン作品を残している。

 

 アカデミックな音楽史の中ではラインベルガーのフランス音楽を語られることはまずない。そもそもギルマンもそうだが、サン=サーンスでさえ傍流でしかない。資料が少なすぎて、WebMasterの想像の域でしかない。だが断片をかき集めてみると、なんとなく、ぼんやりと見えてくるものがある。ギルマンを介してのそのフランス音楽への影響はもう少し考えてもいいのではないだろうか。

オルガン協奏曲#2 g-moll,op.177

#1 

2002/Jul/19

オーケストラ・アンサンブル金沢

第125回定期公演 フィルハーモニー・シリーズ

@石川県立音楽堂コンサートホール

指揮・ニコラス・クレーマー

独奏・荻野由美子

※多分本邦初演。これより古い演奏の資料は見た事も聴いたこともない

 

#2

2004/Dec/13

フェリス女学院大学大学院 第6回 大学院音楽研究科演奏会

オーケストラ協演の夕べ

指揮・渡邊一正

独奏・西 優樹

神奈川フィルハーモニー管弦楽団

※1st Movement

 

(#3)

2007/May/25, 26

新日本フィルハーモニー交響楽団

第416回定期演奏会

@すみだトリフォニーホール

指揮・下野竜也

独奏・小林英之

 

#4

2008/Jun/22

スロヴァキア交響楽団

~中欧のカリスマオーケストラ~

文芸セミナリヨ

指揮・ペトゥル・ヴロンスキー

独奏・城奈緒美

 

#5

2011/Mar/13

広島交響楽団

第18回 島根定期演奏会

@松江市総合文化センター プラバホール

指揮・広上淳一

独奏・小林英之


協奏曲2番 解説みたいなこと

直筆下書き。2段目からがオルガン協奏曲
直筆下書き。2段目からがオルガン協奏曲

 左のオルガン協奏曲1番で述べたように、ベルリオーズは自著『管弦楽法』にてオルガンとオーケストラを教皇と皇帝にたとえ「内密の反感」が存在するとして、相容れないものと書いている。この相容れないものたちの融合に、最初に成功した者はラインベルガーだろう。『オルガン協奏曲 第2番 ト短調 作品177』は作曲家をもっとも代表する作品だろう。今日の日本では合唱曲とオルガンソナタしか取り上げらないが、この曲を知らずしてラインベルガーは語れない。

 

 オルガン協奏曲2番は下書きの書き込みに従えば、1894年の10月23日から創作を始め、翌年2月7日に完成している。3か月以上の時間を費やしたという事は、ラインベルガーにしてはかなりの苦労を伴ったことが推察される。その筆致からも体力的な衰えがあったのではないだろうか。それ以上の完成までの経緯、作曲の動機、出版社とのやりとりなどは記録が存在していないため、つまびらかには出来ない。オーケストラ編成は弦楽合奏と3本のホルンだけだった第1番よりも気持ち拡大され、弦楽合奏に2本のホルン、2本のトランペット、ティンパニーに発展している。

清書マニュスクリプト。下書きからすればましだが、若い頃と比較するとその筆跡はかなりよれている
清書マニュスクリプト。下書きからすればましだが、若い頃と比較するとその筆跡はかなりよれている

 1894年9月13日にC. L. ウェルナーによるオルガンンソロにより、バーデン=バーデンにて世界初演された。ミュンヘン初演は1894年12月14日に音楽院の第3定期演奏会にて、ソリストはヨーゼフ・ベルトが務め執り行われた。タクトを握っていたのは半年前に30歳になったばかりの若きリヒャルト・シュトラウスであった。

 

 オルガン協奏曲2番はその後もたびたび演奏され、当時の人気が測られる。ベルリン音楽院教授でベルリン・ヴィルヘルム皇帝記念教会オルガニストのハインリッヒ・レイマンが伝えるところによると、1895年1月後半までにベルリン・フィルハーモニー管弦楽団にが4回演奏したという。1895年3月21日にパウル・ホーメイヤーによるオルガンソロにてライプツィッヒ・ゲバントハウスで演奏されている。1896年4月12日ウィレム・メンゲルベルクの棒とW.ペトリのオルガンソロによりアムステルダム・コンセルトヘボウが。1899年春、シュトラスブルクにてエルンスト・ミュンヒ指揮でソリストを務めたアルベール・シュバイツァーは作品の完成度に対し「千倍の感謝を」と手紙にしたためている。

 

 1901年6月3日に開かれた第37回ドイツ音楽家大会についてリヒャルト・シュトラウスとヒリップ・ヴォルフラムは作曲家に対して「この音楽家大会はオルガン協奏曲 作品 177 とともに壮麗に始まりました。作品は、非常に温かく受け入れられました」と敬意を表している。かように作曲家や作品が受けいられていたことがうかがえる。

 

 ラインベルガーは1901年12月25日に亡くなったが、ミュンヘン音楽院によりミュンヘン、オデオンホール・大ホールで執り行われた追悼演奏会ではオペラ『7羽のカラス 作品20』の前奏曲とともに『オルガン協奏曲 第2番 ト短調 作品177』が取り上げられた。  

 

 今日に於いてはサン=サーンスの交響曲3番は盛んに演奏されるが、オルガンの実力が存分に発揮されるとは思えない。