ラインベルガー語録


 研究が進んでいないこともあるのでしょうが、ラインベルガーという人は同時代の作曲家に比して、どのような人なのか非常にわかりづらいです。身体的特徴や性格描写など皆無です。また彼自身の肉声がほとんど紹介されません。どのような人物だったのか把握することがとても難しいです。特に彼自身が残していた日記などはほとんど参照されていません。彼を知るには、妻フランチスカ(ファニー)の残した日記。自身の親族・同僚・出版社などへ宛てた手紙ぐらいしか参照されないと言って過言ではないです。

 

 右は英語文献に散見された、彼自身の肉声をいくつか拾ってみました。実際は書簡集など宝の山に埋もれているのでしょうし、独文伝記にはいろいろあるのかもしれませんが、膨大な作品の解説に引用されてこないというのは、その発言はあまり面白くないのでしょうか?

 

 他の作曲家と比べ、含蓄を含んだ言葉、ウィットな表現、突拍子もないエキセントリックな行動が散見しないのはラインベルガーは音楽家として、常識人過ぎたのかもしれません。ロマン派をはじめ作曲家の奇人変人ぶりの方が問題かもしれませんが(笑)。

New!!!

★「昨今、人はすぐに死んでしまう。ある者はすでに長い間死んでいるが、それに気がついていないだけです」

(1900年12月9日付 ヘンリエッタ・ヘッカー宛書簡。

非ワグネリアンのラインベルガーは生前から自己の作風が時代に取り残されていきつつあるのを自覚していた。「ある者」とは自分の周りの非ワグネリアンたちだけではなく、自分自身もあてはめていたのでしょう。)

 

★「僕はどんな音楽よりも教会音楽を書きたいし、その能力があります」

(1853年2月14日付両親にあてた手紙より。14歳になる直前。ミュンヘン)

 

★「お父さんから私が結婚するという話を聞いていると思いますが、彼女は私が愛してやまない、とても聡明な女性ですので、あなたもほかの家族も喜んでくれるでしょう」

(1867年4月3日付け、故郷の長兄・ダヴィットにあてた手紙。28歳。結婚に際し妻フランチスカのことについて)

 

★「これぞ音楽の喜び。ショーペンハウエリアンどもは地獄に落ちろ!」

 (1874年2月7日。ファニーの日記。私的ソワレでモーツアルトのヴァイオリンソナタを演奏した際に発した言葉。その後すぐに自作のヴァイオリンソナタ#1 変ホ長調 op.77にとりかかる。34歳。彼が感情をむき出しにした発言はこれ以外に見たことがない)

 

★「宮廷楽長の地位の良いところは、劇場とは無縁であることです」

(宮廷楽長として宮廷諸聖徒教会の音楽監督への就任時友人にあてた手紙。前任者ヴェルナーとは異なり教会と劇場を同時にこなさなければならない立場をとらないようにした。劇場時代によほどいやな思いをしたのかもしれない。イルメンによる報告だが、一次資料がわからないため、日付・誰宛の手紙かは不明。1877年以降)

 

★「私の本当の洗礼名はガブリエルではなく、ヨーゼフの祝日(3月19日)に洗礼を受けたので、神父はヨーゼフと与えてくれました。この変更は徐々に浸透し、今では誰も知らないことです。」

(1901年2月17日。最晩年に知り合ったペンフレンド、ヘンリエッテ・ヘッカーにあてた手紙。出生時との名前の違いを告白している「Josef その名前に関して」を参照してください)

 

★「私もあなたが望むように、オルガン・ソナタをNr.24まで作曲したい。しかし、2つの困難がある。ひとつは、ピアノと違って、オルガンの音型とパッセージの多様性が限定されること。もうひとつは、私の健康状態です。これらがなければ、Nr.24まで完成させたいのですが。」

(オルガンソナタNr.12を献呈したAlexander Wilhelm Gottschalg宛ての手紙。時期は不明)

(小林みゆき, 『J. G. Rheinbergerのオルガン音楽 -Max Regerとの比較に基づいて(その1)-, 盛岡大学20周年記念論集『文学部の多用なる世界』, 2003』より)