2001年 没後100周年 記念曲集

2001年はラインベルガーの没後100年ということもあり、Carus社より4冊の合唱曲選が発行されている。1冊は宗教曲選、残りの3冊は女声男声混声のための世俗合唱曲選。

 

試みにおのおのの序文を翻訳してみた。ただし、WebMasterは非常に語学力が無く、宗教曲選はぼろぼろの状態。中途半端に途中で投げ出してしまった状態。とても他人様の目にさらせる状態ではないのだが、どなたか篤信のある方にブラッシュアップをお願い出来なでしょうか? 頼むやってくれ下さい <(_ _)> 2016年は没後115周年だし(うわー、ちょー半端)

 

 

著作権的にどうなの? と言う話が出てくるような気がしますが、ラインベルガー紹介の一環と言うことで...宣伝になるでしょ


表紙引用されているのはAbendlied op.69/3のマニュスクリプト
表紙引用されているのはAbendlied op.69/3のマニュスクリプト

混声合唱のための宗教曲集

Carus

50.265

 ヨーゼフ・ガブリエル・ラインベルガーの作品は、今や驚くほど復興され親しまれている。オルガンのための作品は近年再発見され、そして現在彼の宗教的声楽曲に関心が向けられている。彼の死後100周年を記念し、ラインベルガーの重要な分野に注目してみた。

 

 1839年ファドゥーツ(リヒテンシュタイン)に生まれ、1851年まで初期の教育を受けミュンヘンに赴いた。かの地で音楽教育を受け、大きく才能を伸ばした。聖ルードヴィッヒ教会・聖カイエタン教会・聖ミハエル教会にてオルガニスト。ミュンヘンオラトリオ協会音楽監督、王立音楽院にてオルガン奏法と対位法の教授、そして宮廷楽長を務めた。彼は終の棲家として選んだミュンヘンにて、1901年11月25日に亡くなった。

 

 ラインベルガーの教会音楽の全容は19世紀の宗教音楽における巨匠たちの中でも一目置かれるている。このクラスで主に典礼の目的に基づき160作品におよぶ作品が現存している。17曲のミサ曲(*註)、2組のスターバト・マーテル、5つの宗教的オラトリオとカンタータ。36曲のモテットと45曲の聖歌、同時に25曲の楽器伴奏の宗教的歌曲、それらは彼の作品の中で重要な位置を占めている。彼はまた1854年以降無伴奏合唱作品を作曲し、(カスパー・)エットや(フランツ・)ラッハナーによるミュンヘン楽派の伝統を踏襲している。ラインベルガーにおける偉大なバロック音楽の伝統の重要性は以下の引用から明らかである。

(*註:原文は「18曲のミサ曲と4曲のレクイエム」としているがミサ曲は17曲、レクイエムは3曲に作品番号与えられている。作品番号外の物を含めた場合はさらに数増えることになるので原文の間違いである。またその後に続く数字は検証していないのであまり信用しない方がいい)

 

 近代的な対位法に精通した作曲家には [...] バッハの手法を自分自身に取りている必要がある、もし彼が相当の昔から聴こえる音楽を再生することを絶えず望まないのであれば。

対位法の強さが音楽の組み合わせを作る手法と気質のあらゆる考えを作る方法により自由で拘束されないあらゆる基準

(訳註:適当な訳で申し訳ないのだが、この引用文がどこから引かれているのか原文には示されていない)

 

 彼の作曲の立場は、旧時代に烙印を押され単純化した反セシリアニズムである。

 

 彼の宗教音楽からの選んだこの選択は、主に典礼やコンサートのレパートリーを広げることを望む教会聖歌隊に提供している。多くの機会と実用性に使用できるラインベルガーの主要な作品が選ばれている。ラテン語文章の翻訳は詩篇の番号に沿い可能な限りドイツ語の“統一”聖書の文言をあてはめた(カトリック聖書研究所・シュトゥットガルトの寛容な許可を得た)。伝統的なウルガタ番号はカッコ内に収めた。

 

 モテット、詩篇、讃歌とミサ通常文は典礼の行事のために作曲された。これらは現代の様々な奉仕の仕様にとても適している(聖餐祝賀、聖体拝領、定時業務、言葉の典礼、宗教的演奏会)。注意点は典礼の前後関係で通常文を使用しての可能性の描画である。

 

 ラインベルガーの旋律的な言葉の意味に完全に没頭する合唱作品が期待され、作曲家の重要性を明らかにすることと、合唱団のための奨励と霊感を提供する二つの事に貢献する。

 

ボン、1月2001年 ヴォルフガンク・ブレッチュネイダー

無伴奏混声合唱曲選

Casrus 50.261

 

 ヨーゼフ・ガブリエル・ラインベルガー(1839年ファドゥーツ生まれ、1901年にミュンヘンで死去)の、数多くの多彩な作品の中で、合唱作品は重要な位置を占めている。教会音楽のほかに、世俗的な合唱音楽も多い。いずれにせよ、作品番号(Opus)が付けられた197作品のうちの45作品は世俗的合唱音楽に属するものである。また、このうち、全部で62の歌曲を含む10作品は、アカペラの混声合唱用の曲である。これらの作品がドイツ語圏全体で好まれ、よく歌われたことが示しているのは、とりわけ、多くのさまざまな合唱団がこの作曲家に賛辞を捧げたということである。

 

 ラインベルガーは、宗教的作品で、何度もポリフォニー(多声)の作曲技法を用いているが、世俗的な歌曲では、ホモフォニーが曲を支配している。シューベルトやメンデルスゾーンに基礎を置くこれらの曲では、ロマンチックな、自然の至福が息づいているが、優れた技巧のおかげで、この至福が、作品の中で、誤ったセンチメンタリズムに陥ることは決してない。合唱作品は、作られた時期に関して、固有の傾向を示すことはなく、この作曲家の人生全体にわたって、分散して存在している。つまりラインベルガーは、ミュンヘン音楽学校の学生として、19歳のときに"森の挨拶"という曲を書いたが、他方で、"狂詩曲(ラプソディー)"と"ラインの舞踏歌"は、亡くなる4年前に作られたものである。この間に、その他の合唱作品が書かれているが、それらのほとんどは、5~8曲から成る、観念的に関連する歌曲の作品群の中で発表されている。

 

 これらの合唱作品が優れたものになった理由は、とりわけ、ラインベルガーが、ミュンヘン・オラトリオ協会の指揮者として、合唱の実践法を熟知していたからである。「先生の下では、特に、すべてのパートが歌うべきであるということを、大いに学んだ」ラインベルガーの教え子であるエルマンニオ・ヴォルフ=フェラーリは、かつての師匠について、このように述べている。バランスの取れた、歌詞と音の関係では、しばしば、歌詞内容の最小単位と、調子が、音として解釈され、それに加えて、人間の声の技法上の可能性は、常に保たれており、原則として、旋律が主導的役割を担っている。これにより、合唱曲の楽章は歌唱可能となり、自然なものとなる。自身が純然たる音楽家であるラインベルガーにとって、劇作よりも叙情詩が重要であったことは当たり前のように思えるが、このことは‐特に、混声合唱用の作品集で‐歌詞の選択に大きな影響を与えている。男声合唱曲では、おそらく、学生のような、ざっくばらんなユーモアも見出すことができるだろうが、混声合唱用の作品は叙情的な雰囲気に包まれている。自然、幸せな恋、悲恋、そして世間一般の、人々の生活が、テーマの重点を成している。観念上の境界が明確に定められていないこともある。たとえばOpus 108,1では、川の流れに関する自然描写が、人間の成長の過程を象徴している。

 

 本書に収められた合唱曲集は、ラインベルガーの創作から選ばれたものであり、これにより、ラインベルガーの世俗的合唱音楽で新たな発見が促されるだろう。この合唱曲集によって、まさにこの作曲家の作品から、今では埋もれてしまっている多くの宝を見つけ、掘り起こすことができるのは明らかなのである。

 

Schaan/FL, im Gedenkjahr 2001  Harald Wanger  



無伴奏世俗男声合唱曲集

Carus 50.263

 

 ドイツの男声合唱は19世紀の産物である‐その先駆け的存在は、それよりも前に存在し、ミハエル・ハイドンが、1788年にはすでに、楽しい会食に集う人たちのために、4声の男声の歌曲を作っていたが、男声合唱は19世紀の産物なのである。男声合唱の伝統の出発点は、19世紀初期の、たいていは愛国主義的傾向を持つ男性結社であったが、これらの結社は、その思想の産物を歌曲に込めて残した。この種の、最初の団体は、1809年にC. F. ツェルターによって設立された「ベルリン・リーダーターフェル(男声合唱団)」である。この団体の会則では、「祖国および公益の対象」の重要性が強調され、優先すべき目標として、「国王を賞賛すること」が挙げられている。チューリヒでも似たような動きがあった。チューリヒでは、1810年に、H. G. ネーグリが、ペスタロッチの原則に則って彼が運営していた声楽学校で、男性グループを設立したが、このグループでは、フリーメーソンの理念のほかに、特に、合唱で歌うことが「より高級な芸術の国における、ひとつの、一般的で可能な、国民の生活形式」であるという、ペスタロッチの思想が主導的役割を果たしていた。

 

 このような団体は強い影響力があったので、これらを手本として、やがてドイツ語圏全体で、「リーダーターフェル」や「合唱団連合(Sängerbünd)」という形式の男声合唱団が結成されるようになった。これにより合唱曲の需要が高まり、これを満たした作曲家たちの多くは、今日では忘れ去られた存在である。だが、このような作曲家の中には、たとえばクロイイツァー、メンデルスゾーン、マルシュナー、ブラームス、そしてとりわけヨーゼフ・ガブリエル・ラインベルガー(1839年3月17日ファドゥーツ生まれ、1901年11月25日ミュンヘンで死去)のような著名な作曲家もいる。ラインベルガーは主に、アカペラの男声合唱向けに約90作品を書いたことで、男声合唱曲への貢献を果たしたが、これらは19世紀の最後の3分の1の期間に作られ、全部で15の作品の中に分散して存在している。ラインベルガーが、これらの作品に作品番号を付け、それにより、これらに有効な価値を与えたという事実が示しているのは、これらの作品は、他の作曲家の男声合唱用の曲でよくあったような、単なる一時しのぎの作品ではないということだ。この作曲家の存命中、これらの作品が、あらゆる種類の男声合唱会で、確かに、曲目の一部に含まれていたという状況も、このことを裏付けている。

 

 これらのうちの多くの作品の歌詞は、当時の、ものの感じ方に強く影響されている。だが、音楽の作法は作品の価値を高めている。つまりここでも、ラインベルガーが、叙情詩の分野で特に秀でており、また、そのために、歌曲の分野でも特に秀でていたことが示されている。「男声合唱の様式」として特徴づけられる表現形式も、ラインベルガーの作品では、ほとんど出てこない‐彼の音楽的感覚が、J. S. バッハ、モーツァルト、ベートーベン、そしてとりわけシューベルトから、あまりにも多くのことを学んだためである。民謡的なものが何度も表れるが、民謡そのものが援用されることはない。ホモフォニーの技法が主導的役割を果たしているが、それにもかかわらず、どの声部も、独立した形で成立している。そのため、これらの作品は、当時の普通の男声合唱曲を超越した存在となっている。さらに、これらの作品が、センチメンタルな曲、「よくある類の男声合唱曲」に陥っていないことも、もうひとつの長所である。歌詞は、もはや、われわれの感覚とは合わないかもしれないが - 音楽は、常に高いレベルで展開している。

 

 本書に収められた作品集は、今でも、歌詞が、われわれにとって内容がある合唱曲の楽章から選んだものであり、ラインベルガーの男声合唱曲の、あらゆる難易度における、代表的な一面を示すものである。

 

Schaan/FL, im Gedenkjahr 2001  Harald Wanger  

無伴奏世俗女声合唱曲集

Carus 50.262

 

 

 女声のための合唱曲は長らく学校と修道院の修道女コミュニティで培われていた。男声のための音楽はいたるところで男声聖歌隊をはじめとして演奏されていたが、女性は家庭的な責任と社会における地位のために、男性のような合唱の共同体を作ることはめったになかった。これらの状況、問題と共に、女声のために声の音楽の生理的限界から生じること事象は、男声のためのそれよりはるかに少なかった。女声合唱のための重要な作品を書いた最初の作曲家は、ハンブルグで自身の経歴の初期に女声合唱団のために作品を書いたブラームスであり、そして最近まで女声合唱団は編曲物を使用することを余儀なくされていた。

 

 このように多作のヨーゼフ・ガブリエル・ラインベルガー(1839年3月17日ファドゥーツ生まれ、1901年11月25日ミュンヘン没)も女声合唱団のためにほんの少しだけ作品を残した。これらは作品番号の無い2、3の作品は別として、2つのミサ曲、何曲かの聖歌、2つの世俗連作合唱曲で構成されている。本曲集ではこれらの連作合唱曲の一つ無伴奏四声の女声合唱のための『6つの歌』op131と同時に児童合唱のための『聖ネポムク祭前夜』(WoO63)を含んでいる。別の連作合唱曲『五月の日』op.64はピアノ伴奏を伴うため、本曲集では考慮しなかった(CV 50.064として別売している)。

 

(すいませんこの第3パラグラフまったく訳せません。いや訳せるんですけど、矛盾しちゃんんです。どなたかお力添えをいただけませんでしょうか? <(_ _)>)

 

 我々はゲーテの同名の詩によるコンペティションのために作られた、童謡『聖ネポムク祭前夜』も同時に収録した。定期刊行誌『カソリック教会音楽・風に舞う木の葉』主催によるゲーテの詩に旋律を付けることを招待された。優勝者には5ドゥカトの賞金が用意されていた。ラインベルガーは3声の児童合唱にて応答し、優勝するのであった。この小さな作品は編集者はラインベルガーに対して好意的ではなかったが、同年雑誌の付録として出版された。

 

Schaan / FL, in the commemorative year 2001 Harald Wanger