参照される方々へ。弊サイトのデータをもとに解説を書かれる場合は出典として弊サイト名をお記し下さい。

Orgelsonate Nr.16 in gis-moll, op.175

オルガンソナタ第16番 嬰ト短調 作品175

Allegro moderato; Skandinavisch; Introduction und Fuge


II. Skandinavisch (BSB Mus.Ms. 4645-1/2#1)
II. Skandinavisch (BSB Mus.Ms. 4645-1/2#1)

「この作品はその優秀さだけではなく、それ自身のスタイルと風情によってほかの作品群とも距離を置いているように見える点でも、後期のソナタ群において最も注目すべき作品である」

 

 ハーヴェイ・グレイスはその著書『ラインベルガーのオルガン作品』において#16を上記のように述べている。まー、グレイスはソナタ群の大概を「この曲は優れている。名が知れている。注目に値する」といつもべた褒めなのだが、WebMasterのような門外漢であっても、この#16は他のソナタとのなにか毛色が違う印象がうかがえる。グレイスも指摘しているように中間楽章のタイトルが 「Skandinavishch - 北欧風 -」 がその印象を強めているのではないだろうか? なおグレイスはその中間楽章「Skandinavishch - 北欧風 -」の題名は北欧を訪問後を示唆していると言っているが、ラインベルガーが北欧を旅した記録は寡聞にして知らない。

 

 ラインベルガーの世代は伊仏独の音楽先進国以外の、いってみれば田舎の国々出身で、国民・民族特有のリズム・和音・旋律を取り入れた作曲家が台頭していていた。いわゆる国民楽派だ。作曲の教授だったラインベルガーが彼らの音楽に興味を示さないのがおかしいだろう。同年代なら(チャイコフスキーは国民楽派とは言えないが)ロシア5人組。チェコのスメタナ(1824-1884)やドヴォルザーク(1841-1904)。ノルウェイのグリーグ(1843-1907)。少し世代が離れるが、やはりチェコのヤナーチェク(1854-1928)、デンマークのニールセン(1835-1931)、フィンランドのシベリウス(1865-1957)。目白押しだ。異国情緒たっぷりのこのとてつもなく物悲しい調べに自己の気持ちを託したのではないか?

 

 この曲は1893年の5月27日から6月6日にかけて作曲された(四手連弾ピアノ用アレンジは6月22日に完成)。5か月前の大みそかに、愛する妻フランチスカを亡くしたばかりである。前年の1892年は看病に時間をとられていたのだろう。毎年作成していたオルガンソナタに手をつけた形跡はないし、その他の作品数も少ない。満を持しての作成である。ラインベルガー自身は基本的に個人的事情を自己の作品に投影させない人であったが、さすがにこの時はその悲しみをこの#16にぶつけたと思う。 そしてこの曲は誰にも献呈していない。自分自身の、ひいては愛する妻のためにとっておいたのではないかと思うのだがどうだろう?

 

 第一楽章にはあえて題名をつけなかったのだろう。涙をこらえるがごとき冒頭の第一主題。そしての19小節目からのアルペジオの第二主題。「ああ、これは泣いているな。男泣きの大号泣」とWebMasterは思ったものだ。46小節目のけなげな展開部。2回繰り返される第二主題。だんだん涙も尽きてくるか。そしてラインベルガーのソナタに特有とわけではないが曲は第一主題で力強く締めくくられる。

 

 そもそもこの曲は嬰ト短調で、#12から連続4曲続いた長調の作品は作る気にならなかったと思う。重篤だった妻を看病していた時期にあえて長調の作品を作っていた彼。オルガン作品ばかりではない。一番つらかった時期のミサ曲 #169はハ長調だし(完成:1891年5月)、#172は変ロ長調だ(完成:1892年5月)。他に短調の作品もあっただろうが、当時どのような心境だったのであろうか。

 

 そして第二楽章の「Skandinavishch」、この楽章はあまりにも悲しくさみしい。ラインベルガーの作品の中でも最もうら悲しい楽章だろう。物悲しく聞こえる緩徐楽章は珍しくないが(例えば#10の第二楽章)、これは作曲家自身の心に開いた穴。うつろな気持ちを表している。しかし雪に覆い尽くされた真冬の厳冬ではない、冬になる直前森も野原も枯れ果てた荒れ野のイメージだ。WebMasterにはその光景が見える(でももしかしたら、雪に覆われた縛れる大地なのかも。とりあえず吹雪いてはいない)。ラインベルガーにとっての北欧の冬なのだろう。そこは南ドイツで育った彼自身あまり訪れなかった北ドイツよりもさらに北であり、想像すらかなわない遠い世界だ。

 

 なおこの楽章はデンマークの作曲家、教育者、オルガニストそして民謡の収集家アンドレアス・ペーター・ベルックリーン(1801-1880)による旋律に基づいており、これはラインベルガーの下書き帳第3巻にて確認できる。

 

 いつまでも悲しんでいても時計の針は戻らない。故に39小節目に転調して主題が変わるときに一人でも生きていこうと前向きに思い立っているのでは? 「母ちゃん、一人でさみしいけど、俺生きていくよ!(でもさみしいけど!)」と。また木枯らしだけが吹き付ける。しかも粉雪交じりだ。でも82小節目から小春日和のような暖かい日差しが降り注ぐ。日照った日向はほっこりしているかもしれない。

 

 最後の第三楽章はホ長調となり、もんのすごく前向きな導入部で音楽が始まる。泣いて泣いて涙も枯れて、泣き疲れて寝落ちしてしまい、目が覚めたらすっきりしちゃった感。「いつまでも泣いていても始まらないし。母ちゃん死んじゃったのは現実。母ちゃん天国で安らかにネ!」。そう、冬来たりなば春遠からじ。空を覆っていた分厚い雲が小さな切れ目から、だんだん晴れ間が広がっていく。暖かい日差しが指してくる。凍った小川に流れが戻り、雪の間からふきのとうが芽吹き、枝先には梅のつぼみが膨らみだす(ん? ミュンヘンに梅はあるのか?)。春の足音がもう聞こえている。

 

 曲は得意のフーガでぐいぐいと前進していく(Con moto)。鳥のさえずりの様なその主題 - いやどう聞いてもカッコウ - それまでの中期ソナタ群終曲のシビアな主題のフーガたち(#11、12、13のフーガの主題はなんと厳しい事か)とは異なり、まさに春告げ鳥のさえずりを主題にしている。それはテノール、アルト、ソプラノ、バスと声部が重なってりいき、何もかもキラキラ輝いている。生命に満ち溢れるているようだ。冬は去り、もう春が訪れている。そして93小節目のマエストーソは神々しい光のシャワーが天から降り注いでいる。暖かく全てを包み込む。またこっそりとペダル部分には106-107小節に「BACH」が隠されている。そして亡くなった妻ファニーの魂に安息が訪れ、救われることを願っているのではないだろうか? 悲しみの涙をふき去り、悲しみを乗り越え、その悲しみすら糧として前に進もうとする意志がそこにはある。なぜならやはりラインベルガー節とはいわないが、多くのオルガンソナタに見られるCoda部にて第一楽章の第一主題へは回帰しないからである。

 

 

補足)

 この曲はラインベルガーのオルガン曲としては珍しく、ストップが指定されている箇所がある。第三楽章の9小節目から16小節目にかけてと18小節目から22小節目にかけてペダルパートにPosaune(トロンボーン)の追加を指定してある。これは非常に珍しい。

 

補足2)

バッハの名前に関する下線部分は2020/Jun/2に追加

 

補足3)

第二楽章の「Skandinavishch」に関しての下線部分は2021/Apl/12に追加