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Orgelsonate Nr.11 in d-moll, op.148

オルガンソナタ第11番 ニ短調 作品148

Agitato; Cantilene; Intermezzo; Fuge

Cantileneのミスプリントに気づきましたので、「オルガンソナタ#11 カンティレーネ」を参照してください

 オルガンソナタの第11番以降は元ネタとなる個別の解説がとても少なく、非常に紹介しづらいのだが、なんとか書いてみたいと思う。


 『オルガンソナタ第11番 ニ短調 作品148』は、1886年11月に完成した『弦楽四重奏曲 2番 ヘ長調 作品147 』のあと、ラインベルガーは翌年『組曲 ハ短調 作品149』の作曲を開始する(1887年2月22日)。しかし、下書きをいったん中断し、4月からソナタの下書きを開始する。第一楽章「Agitato」を90小節目あたりまで書き進んでこれまたいったん中断し、第二楽章「Cantilene」を開始、4月4日に「Cantelene」を終了。その後第一楽章が100小節目あたりから再開され4月11日に終わる(全集42巻では4月11日から開始となっているが、これは明らかな間違いである)。以降第三楽章(Intermezzo、4月24日終了)、第4楽章(Fuge)は5月5日に書き終えている。清書は第4楽章末尾に「1887年5月5日」の日付が入っているが、扉部分に5月6日に完成の日付が書き込まれているので、実質5日、正式な完成は6日と言ったところだろうか。このソナタもほかの作品同様、作曲家自身の手によるピアノ連弾用編曲も存在するが、完成した日付は記されていない。なお同年6月に『組曲 作品149』が完成する。オルガンソナタ原曲とピアノ連弾用編曲は同年中にフォアベルク社から刊行された。

 

  1887年11月7日付手紙でフォアベルクは作曲家宛てに「あなたの作品148の6冊の見本本、オルガン版6冊とピアノ4手編曲版6冊」を送っている。見本本はワイマール宮廷オルガニストでいくつかの音楽雑誌の編集者、アレクサンダー・ゴッシャルク(1872-1908)に送られた(献呈ではない)。ゴッシャルクは1888年4月8日に「壮大でとても私好みです」と作品を絶賛し、「来シーズンに数回あなたの力強い創造物の演奏することは名誉なことです」と告知した。ほかにも見本本はパリのアレクサンドル・ギルマンにも送られ、1888年1月28日付の手紙で「美しいソナタ」と作曲家に感謝を述べ、演奏・レッスンで使用することは喜びであると付け加えている。

 

II. Cantilene via Carus 50.239 p.11
II. Cantilene via Carus 50.239 p.11

 このソナタ11番、特に第二楽章「Cantilene」が非常に人気があり、しばしば単独で演奏される。面白いことに結婚式でも葬式でも弾かれるのだそうである。…なんだが、本当なのかな~、WebMasterは本稿執筆時点の過去5年間で、相当数のオルガン演奏会に足を運んだが、実際に耳にしたのはアンコールで取り上げられた1回しかない。またほかに実演に接することができず、記録上でしか見たことがないものが2件。そもそもラインベルガーのオルガン作品自体がプログラムに載る事自体が少ないのだが、オルガンソナタ4番の第一楽章からすれば、とても人気があるとは思えない。WebMaster的には続く3・4楽章が優れており(この2つの楽章は実質的に前奏曲とフーガである)、両楽章の非情さを演出するために用意されたのではないかと思う。冷徹さを志向するフーガの40小節目から第3楽章冒頭の、まるで青空を入道雲が発達しながら上昇するようなアルペジオのパッセージが再現されたときの安心感は他に表現しようがない。またマーチン・ウェイヤーはCantileneの人気に「周期的にソナタの一部分としてその文脈から取り出されるこのような作品は容易に劣化する」と警告をしている。

 

批判校訂版 III. Intermezzo via Carus 50.239 p.14
批判校訂版 III. Intermezzo via Carus 50.239 p.14
Harvey Grace版 Novello Ctt. No. 010171 P.46, ぱっと見上の批判校訂版とは別の曲かと見間違ってしまう
Harvey Grace版 Novello Ctt. No. 010171 P.46, ぱっと見上の批判校訂版とは別の曲かと見間違ってしまう
直筆清書 via BSB Mus.ms. 4618
直筆清書 via BSB Mus.ms. 4618

 ハーヴェイ・グレイスは第三楽章「intermezzo」は技巧的に難しすぎるといい、「しばしば不快ですらある。最悪のパッセージのいくつか」を自身の編集(Novello版)で修正を施されている。第二楽章「Cantilene」では終わりの2小節のアルトは完全に間違っていて、左手で行うべき(可能なら右手の親指だけで弾く)と批判している。

 

 グレイスはラインベルガーが提示したテンポは遅めであり、もう10数値を足すべきだと述べているが、ウェイヤーは(たとえば第一楽章 Agitatoのテンポ 2分音符=60)は考え抜かれた数値だと述べている。解釈は非常に難しい。

 

 



『革命前夜』須賀しのぶ/文藝春秋
『革命前夜』須賀しのぶ/文藝春秋

 小説『革命前夜』(須賀しのぶ/文藝春秋/2015年3月30日 第一刷発行)にカンティレーネが取り上げられている。

 

 昭和が終わったその日(昭和64年・1889年1月7日相当)、旧東ドイツ・ドレスデンのドレスデン・カール・マリア・フォン・ウェーバー音楽大学へ、大バッハを敬愛する主人公シュウジ(眞山柊史)はピアノ留学に旅立った。音楽大学でさまざまな留学生たちにもまれながら、「密告するか、しないか」という監視社会の中で、主人公は美貌の元オルガニスト、クリスタ・テートゲスと知り合う。旧知の家族のトラブルに巻き込まれ動揺したシュウジはクリスタに相談したところ、彼女から福音教会に招かれ、そこでラインベルガーのカンティレーネを聴かされる(p.186)…その後彼らは激動の東西ドイツ統合の波に翻弄されていく…

 

 もともと主人公はラインベルガーの音楽を聴いたことがあると言っているが、その印象は「やたらとメロディアスで甘ったるく流行の歌謡曲でも聴いているようで辟易したものだ」とケチョンケチョンだ。小説内の主人公の心情にとやくかく言ってもしょうがないのだが、たぶんに原作者の印象も反映されているのではないかと思われる。バッハを神様と思う主人公にはとロマン派時代の作品は唾棄すべきもの的なものか? バロック音楽以前でなければ認めないという偏見に満ち溢れている。それ以前に作者はカンティレーネぐらいしか聴いたことが無く、小説執筆時のWikipediaの記事を写しただけなのでのはないかとの印象がある。オルガンソナタだけでいいので何点か聴けば、ラインベルガーはロマン派よりも、バロック・古典に近いとわかると思うのだが(作者は相当にクラシック音楽に造詣が深い印象もあるし)。あくまでWebMasterの個人的な推測なのだが、作者はソナタ第11番すら通して聴いていないのではないだろうか。第二楽章のカンティレーネ以降、第三楽章と第四楽章の厳粛さ、特に後者のシビアなフーガはとても「甘った」るいものではない。特にラインベルガーは「ペダリングが易しいから」教習的な印象がというくだりは、小説執筆時点(初出は「別冊文藝春秋」2013年5月号~2014年7月号。その頃大幅に加筆・修正)でのWikipediaそのままなのでは(このWikipediaの記述は出典不明な面もあり、本項執筆時点ではすでにこの件は削除されている)。そもそもカンティレーネは「歌謡的な旋律」とか「叙情的に歌うような器楽旋律」のルネッサンス期からある様式なわけで、それが甘々な傾向になるのは当然といえるし、そもそもバッハのToccata, Adagio and Fugue in C major, BWV564の中間楽章に明らかに影響を受けているのだそうだし(ハーヴェイ・グレイスは管弦楽組曲 第3番 BWV1068のエール(アリア)、いわゆる「G線上のアリア」からの影響についても言及している)*、ちょっと主人公=作者の認識はずれているのではないだろうか? なんにしても同時代のさらに忘れられた(オルガン)作曲家たち(たとえば師匠のラハナーやラインベルガーのエピゴーネンといわれるメルケル)からすれば、名前と作品が取り上げられるだけましなんだろう。ま、物語の本質にかかわらない部分なのでどうでもいいんだけどね、主人公はラインベルガーを弾かないし。(なお、ラインベルガーの名前はp.309にもう一度だけ出てくる)

[*註:下線部のグレイスの言及に関しては2020/Nov/02に追記した]


 あまり知られていないが、フォアベルク社は自社で刊行したラインベルガーのオルガンソナタから6作品(8~14番)の緩徐楽章を抜き出して、ラインベルガーの生徒でピアノ教師アウグスト・シュミット=リンダー(1870-1959)にハルモニウム用の編曲させて、単独で出版を行っている。しかしなぜか「Cantilene」は含まれていない。

 

 この時期最終楽章にてラインベルガーはフーガの技量を極限まで極めていく。特にこの作品から3作品、11~13番のフーガは感情を排し、冷徹で容赦のない傑作を作り出していく。これを中期シビア・フーガ群と呼ぶ。この作品が作られて年の夏に、妻フランチスカの体調が優れなくなってくる。彼女は夫への配慮でしばらくの間、自己の体調について伏せることにする。作曲家自身は後々の不幸を知る由もない。

 

 最後にどなたか詳しい方におうかがいしたいのだが、Carus社の批判校訂版第二楽章 「Cantilene」の冒頭ページテンポ記号において「A und E notieren ♪ = 84: / im ThV steht irrtümlich ♩ = 84. 直筆稿(A)と初版(E)の数値は♪ = 84: ♩ = 84 は誤りである」と注釈されているが、この略語「ThV」が何を指しているの不明なのだが、どなたかおわかりの方はいらっしゃらないだろうか。