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Messe in a, op.197

"Missa omnium sanctorum"


Gloria下書き。左上に「Missa omnium sanctorum」と書き込まれている。出典:Bayerische Staatsbibliothek München, Signatur BSB Mus.ms. 4739 b-6
Gloria下書き。左上に「Missa omnium sanctorum」と書き込まれている。出典:Bayerische Staatsbibliothek München, Signatur BSB Mus.ms. 4739 b-6

Creod清書絶筆箇所。出典:Bayerische Staatsbibliothek München, Signatur BSB Mus.ms. 4665
Creod清書絶筆箇所。出典:Bayerische Staatsbibliothek München, Signatur BSB Mus.ms. 4665

 1900年11月27日付の手紙にて、ライプツィッヒのオットー・フォアベルクはラインベルガーに新曲の依頼を行っている。

 

「弊社の次回のカタログに、先生の作品をリストアップできたらどんなにかすばらしいことでしょう。ですので、それが可能かどうか、現段階での原稿をお送りください。特に組曲のようなオルガンソロか...またはオルガン伴奏の新しいミサ曲、混声四部合唱または男声合唱がいいです」

 

 この依頼に対して作曲家は、翌年4月から6月にかけて作曲した『オルガンソナタ20番 ヘ長調 作品196 "平和の祭典のために"』と『ミサ曲 イ短調 作品197』の2曲で答えている。オルガンソナタは作曲家の存命中にフォアベルクから出版されたが、ミサ曲は完成させることが出来なかった。ラインベルガーの作曲時の癖の一つとして、楽曲の下書きを頭から最終楽章まで一気に行ない、その後また清書を頭から最後まで一息に仕上げるのだが、前作の『レクイエム ニ短調 作品194』から、様子が変わってくる。各楽章の下書きが書き終わった都度に、続いて清書を行っている。もしかしたら、自身に残された時間が無くなりつつあるのを感じ取っていたのかもしれない。キリエとグロリアは清書出来たが、クレドは前半までしか清書できず、イエスの死と復活についての箇所で終わっている ([...] passus et sepultus est. Et resurrexit tertia die secundum scripturas; 苦しみを受け埋葬された。そして聖書にありしごとく、三日目に蘇がえった)。クレドの残りは下書きの形で部分的に存在し、サンクトゥスとアニュス・デイの冒頭部分も少しだけ下書きが残っている。ベネデクトゥスは手付かずだったようだ。下書きに最後に書き込まれたのはサンクトゥスでのナチュラル記号(♮)だった。

 

 作品を未完成品にしないため、弟子のルイ・アドルフ・コーン(米・1870 - 1922)が欠けている部分の補完を行っている。コーンは「Et resurrexit;」までは自筆原稿を見ることができていたが、クレドの残りの部分や他の下書きについてはまったく気がついていなかった。そのため、彼はクレドの残りの分とサンクトゥスとベネディクトゥスを新しく作曲した。アニュス・デイに関してはラインベルガーはまったく触れていなかったが、広く慣習的に使われているキリエの音楽の転用が行われた。コーンは自身の補完バージョンを1902年、ライプツィッヒのロイッカールトから出版を行った。おそらく彼はオットー・フォアベルクからの依頼について知らなかったのだろう。

 

 現行、手に入りやすいこの作品の楽譜はCarus版だが、コーン版を尊重しつつもラインベルガーが残したクレド後半の下書きを元にヴォルフガング・ホッホシュタインが補完している。のこりサンクトゥス、ベネディクトゥス、アニュス・デイはコーンの手によるものである。

 

 このミサ曲ではグロリアの冒頭部にて作品192同様「adoramus te」「benedicumus te;」とセンテンスの取り違えをしている。典礼を満たすためにこの語句を入れ替えて歌う事も可能である。前作同様それは演奏者の判断にゆだねられている。クレドでは、またしても多くの彼のミサ曲同様、「Et iterum venturus est」に続く「cum gloria」が欠落している。これは下書やメモ書きの段階でも確認できる。

 

 最初の3つの楽章は1901年10月15日から11月2日(死者の日)にかけて下書きされている。グロリアの清書は10月29日に完成している。グロリアの下書きには「Missa omnium sanctorum (諸聖人のミサ)」と題名がつけられている。ラインベルガーは諸聖人の祝日(死者の日前日)の時期に作曲に取り組んでいたので、この副題を与えるつもりだったのだろう。現存している清書には副題は書きこまれていないが、ホッホシュタインはタイトルページが作られていないため「ラインベルガーがタイトルをつけることをやめたという証明にはならない」といっている。おそらく似たような理由でコーンも副題を知ることは出来ず、彼の編集にもそれは現れない。「Missa omnium sanctorum (諸聖人のミサ)」という副題は特に何も問題はないだろう。

 

 コーン版が出版された後Gregorianische Rundschau誌にて以下のような論評がなされている。

 

「意図が非常に真剣で、初期のミサ曲と比較して演奏が楽になっている。[...] 作品全体が厳かな雰囲気を持っており、常に旋律的で、巨匠の個性と魅力にあふれ、しかしながら音楽的な要素は充実し、芸術的自由があり、現代的な和声による真珠のような輝きを持っている」