Messe in g, op.187

"Sincere in memoriam"

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スケッチより。左端にブラームスが亡くなった日付が書かれている。該当楽章はCredoであるため、4月5日に訃報を受け取った模様。出典:Bayerisch Staatsbibliothek München, Signtur us. ms. 4739 b-5, P.169
スケッチより。左端にブラームスが亡くなった日付が書かれている。該当楽章はCredoであるため、4月5日に訃報を受け取った模様。出典:Bayerisch Staatsbibliothek München, Signtur us. ms. 4739 b-5, P.169

 あくまで一般論というか私見ではあるが、教会は長らく女性は沈黙していろと言われていたわけで、混声合唱で歌える形式のミサ曲も少年合唱が女声パートを担当していた歴史がある。女声合唱他のためのミサ曲というものは非常に少ない。強いてあげれば、ミハエル・ハイドンによる、『Missa Sancti Aloysii, MH257』、『Missa sub titulo Sancti Leopoldi, MH 837』。グノーの『小ミサ曲4番 ハ長調』。時代を経て、アンドレ・カプレの『三声のミサ曲』、フォーレ/メサジュ共作の『ヴィレヴィユの漁師達のミサ』およびフォーレによるその関連作『小ミサ曲』ぐらいなものではないだろうか?(ウィリアム・バードの『三声のミサ曲』は女声合唱ために作られたものではない)。そのような状況の中で、生涯において3曲の女声合唱のためのミサ曲を残し、レパートリーに貢献したラインベルガーは稀有な例であろう。  

 彼が女声合唱のためのミサ曲を書いた、根本的な理由はわからない。手持ちの資料では、当時のミュンヘンにおけるカトリック教会音楽を取り巻く状況がわからないからである。ラインベルガーがミサ曲を書く場合は、いくつかの作品は自身が音楽監督を務めていた宮廷諸聖徒教会での典礼のために書かれているが、出版社からの要請に基づいている作品もいくつか見受けられる。女声合唱のための最初の作品『イ長調 作品126』(1881)は初演と出版はほぼ同時期だが、続く『変ホ長調 作品155』(1888)と『ト短調 作品187』は初演の資料(少なくとも英語資料)が見当たらないため、出版が先行しているのではないかと思われる。 

同じくスケッチより。左上に「Sincere in memoriam」と書き込みがある。該当楽章はAgnus Dei。おそらく4月9日に銘を決定したものと思われる。出典:Bayerisch Staatsbibliothek München, Signtur us. ms. 4739 b-5, P.173
同じくスケッチより。左上に「Sincere in memoriam」と書き込みがある。該当楽章はAgnus Dei。おそらく4月9日に銘を決定したものと思われる。出典:Bayerisch Staatsbibliothek München, Signtur us. ms. 4739 b-5, P.173

 作曲家にとって3番目となる女声合唱とオルガンのための『ミサ曲 ト短調 作品187』は1897年2月14日に下書きが開始され、清書は同年の4月12日に完成している。いったん作曲に取り掛かると、一気呵成に頭からとりかかり、数日で終わらせるラインベルガーだったが、すでに体調がすぐれないなどの理由で宮廷楽長の職を辞しこの時58歳、晩年に差し掛かりその筆はかなり遅くなっている。下書きのAgnus Deiが書き終わるのが4月9日であるが2ヶ月掛かっている。制作期間中4月3日にヨハネス・ブラームスが亡くなっていたことを知ることとなる。彼は長くこの6歳年上の先輩を尊敬しており、『2つのピアノ作品 作品45』(1870)を献呈していた。ブラームス自身がラインベルガー家を訪れ夕食前にピアノ連弾を楽しんだこともあった。また互いに作品の演奏し、かつ交響曲四番やヴァイオリンソナタに決定的な影響を与えたなど、二人は親交を温めていた経緯がある。またすでに師にして親しい友人・親兄弟姉妹、そして愛する妻も今はなく、尊敬するブラームスの訃報に接した時の作曲家の心境はいかばかりのものだったのだろうか? 

 

 ラインベルガーはその最新作の楽譜に「Sincere in memoriam 心からの哀悼」と銘を打ち、ブラームスに対して献呈を行った。かつてラインベルガーは彼に対して『2つのピアノ曲』作品45を献呈してたが、これが2度目の献呈となる。

 これ以上の作品の成立過程の経緯は全くわかっていない。作曲家の良き記録者・妻のフランチスカ(ファニー)すでに他界している。また晩年のラインベルガーは世捨て人めいた感があり、なにも公表していない。そもそも彼自身の手による資料は書簡と手書き楽譜を除くとほとんど参照されるものがない。 
浄書手書き譜。一件しっかりした筆致に見えるが、やはり縦棒やスラーに弱々しさが見受けられる。出典:Bayerisch Staatsbibliothek München, Signtur us. ms. 4657
浄書手書き譜。一件しっかりした筆致に見えるが、やはり縦棒やスラーに弱々しさが見受けられる。出典:Bayerisch Staatsbibliothek München, Signtur us. ms. 4657

 作品は真摯な厳粛さで特徴づけられている。Kyrie冒頭部の6度の跳躍が感傷的であり、ブラームスの訃報を聞く前にこのテーマが書かれているのは出来すぎている感がある。随所に対位法が用いられるが抑制的である。そしてGloriaの結部「Cum sancto spiritu, in gloria Dei patris, Amen」とCredoの結部「Et vitam venturi saecruli, Amen」の部分はフーガの形をとらないのはラインベルガーの大きな特徴である。多くの彼のミサ曲にみられるように、各楽章には一切前奏がない。また『変ホ長調 作品155』に代表され、多くの彼のミサ曲で問題となるミサ通常文の単語欠落・センテンスの取り違えは見当たらない。『ヘ短調 作品159』と『ハ長調 作品169』につづく作品であるため、これを【サード・パーフェクト】と呼ぶ。またSanctusの結部のレギュレーション違反も見当たらない。SanctusとBenedictusにおけるOsanna in excelsisは同じテーマとならないのもラインベルガー特有である(*下記参照)。基本的にBenedicutusはカノンの形式をとる。Benedicutusはソロ(トリオ)となるのは他の作曲家とあまりかわらない。ただしこのソロはコーラスで代用してもいいし、小合唱で演奏してもよい。


(*)

左上)Sanctus、左下)Benedictusの該当箇所。

Sanctusでは「Plenisunt et coeli et et terra」 とBenedictusの「Osanna in excelsis」が同じモチーフとなっている。