参照される方々へ。弊サイトのデータをもとに解説を書かれる場合は出典として弊サイト名をお記し下さい。

大前提 その2:セシリアニズム

「セシリア運動は、19世紀に南ドイツに起こったカトリック教会音楽の改革運動である。その名称は殉教者で音楽の守護聖人とされる聖セシリアに由来する。当時の教会音楽が世俗的なオペラ風の音楽に堕落していると批判し、グレゴリオ聖歌や16世紀のパレストリーナ様式の音楽に理想を求め、その復興やそれにならった音楽の作曲に尽力すると共に、ウィーン古典派の教会音楽、ヨーゼフ・ハイドンやモーツァルトの教会音楽を排斥したとされる。」

福地勝美『F.X.ヴィットとJ.E.ハーベルト:セシリア運動内のドイツ派とオーストリア派の対立を巡って』より


そして、このセシリア運動の実践者をセシリアンと呼ぶ。重要なセシリアンとしてはE.T.A.ホフマンなどがあげられる。セシリア運動の最盛期は1868年にF.X.ヴィットによって総ドイツ・セシリア協会(ACV)が設立されたされたころである。この年ラインベルガーは29才。前年に結婚もし音楽院の教授となり、作曲家としてもエンジンがかかりだしてきた時期に当たる。ラインベルガーの宗教音楽は初期のころにフルオーケストラと独唱者を伴う『大スターバト・マーテル op.16』、『大レクイエム op.60』と中期の『大ミサ曲 ハ長調 op.169』と比較的規模の大きなもの。『ミサ曲 イ長調 op.126』『小スターバト・マーテルop.138』『ミサ曲 ロ長調 op.172』のように中規模編成(またはオルガンのみの伴奏)の作品もあるが、基本としてア・カペラ様式、その後オルガン伴奏の形式の作品が主流となる。これは彼がセシリア運動に共鳴し、彼自身が出した独自の様式である。


ACVはドイツ中でかなり過激に、そして中途半端にモーツァルトやハイドンの教会音楽を排除を行った。例えばモーツァルトの『ミサ・ブレヴィス K275』は非難したが、『K192』と『K194』は認めている。またヴィットは宗教音楽の創作も行ったが、音楽家としては三流なうえに、ア・カペラ様式の曲が音楽を理想としているはずなのに、器楽伴奏付きの曲を作ったりなど矛盾がみられる。余談だが、アントン・ブルックナーはセシリア運動の司教のために『正しき者の唇は知恵を語り Os justi』を書いている。この曲には一切の♯と♭が無い。しかし、ブルックナーは「パレストリーナは素晴らしい、だがセシリア主義なんてありえない、ナンセンスだ」と切り捨てた。また、この思想はヨーロッパ中に伝播し、隣国オーストラリアにおいてもヨハネス・エヴァンゲリスト・ハーベルトによってオーストリア・セシリア協会(ÖCV)が設立されたが、ACVの過激さを嫌って両者は反目し合っていた。


ほか、重要なセシリアンとしては学生時代のラインベルガーをパトロンとして庇護し、終生のメンターとして影響を与えたカール・エミール・シャフホイトゥルもあげられる。彼は物理と地質学専門の大学教授であったが、冶金学にも精通しオルガンや金管楽器の製作にも携わり、非常に音楽に造形が深い人間であった。シャフホイトゥルはウィーン古典派音楽を好み、器楽伴奏付き音楽を認めていた。ヴィットたちとは温度差があり、このことはラインベルガーに多大な影響を与えている。

 

此方ラインベルガーはアカデミズムのど真ん中で、それこそパレストリーナから最新のワーグナーまで研究し、音楽院で作曲を教えていた。理論だけではなく実演もバリバリに携わり、日夜最新理論と伝統を融合しようと腐心していた。方やセシリアンは技術も理論も三流なのに、情緒だけで華美なもの、新しいものを排斥していた。水と油が混ざるわけがない。ラインベルガーはセシリア運動に共鳴こそするが、ACVの思想の過激さ・推薦する音楽の芸術的な稚拙さに距離をとっていた。いや距離をとっていたどころではなく、かなり険悪な関係であり、セシリアンからは度々言いがかりに近い評論が発表されていた。一説には『ミサ曲 変ホ長調 op.109 "Cantus Missae"』は、新しく選任された教皇レオ13世の献呈(これは自身の宮廷楽長就任の報告の意味もあるのだろう)は、セシリアンを黙らせることを期待して行われたとも言われる(Irmenはこの説を否定している)。


ラインベルガーは存命時多くの名誉と称賛を受けたが、唯一セシリアンから「その宗教音楽は典礼に適していない」と攻撃されていた。その始まりは英語文献では語られていない。ただしこれはラインベルガーにも非がある。特にラテン語の素養があまりなく、ミサ曲通常文での単語やセンテンスの欠落・取り違えがたびたびあり、このことを指摘されているにもかかわらず、改めようとしていない。優秀な文学者の伴侶がいるにもかかわらずである。また研究者においても、この点を指摘する人はまずいない。本項の次に語るべき『ミサ曲 変ホ長調 op.155』と『ミサ曲 ヘ短調 op.159』ぐらいである(正確に言えば『ミサ曲 変ホ長調 op.109』も語られるが、op.155とop.159からすれば無視されていると言っても過言ではない*註)。ラインベルガーの研究者は称賛者だけであるからなのだろうか? そしてその人気にもかかわらず、日本の音楽家でラインベルガーの欠点を指摘したことがある人は見たことがない。

 

*註:忘れていたのだが、op.192とop.197も少し指摘がある。しかし単行本(特にop.192)では指摘されていなかったりするので、これも無視されていると言っていいだろう。

戻る