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結語

WebMasterはラインベルガーの『ミサ曲 変ホ長調 op.155』が非常に好きである。特にCredoの「Confiteor unum baptisma in remissionem peccatorum. われは一・聖・公・使徒継承の教会を信じ」のリリックで寂しげで泣かせるメロディーから次のセンテンス、「Et exspecto resurrectionem mortuorum. 罪の赦しのためなる唯一の洗礼を認め」で輝くように展開する部分を聴くと泣けてくる。作曲者の信仰告白の真髄がここにあると思う。そして常に思う、俺はなんで女ではなく男として生まれたのだろう、歌えないじゃないか! ( ノД`) と。あっ! いつも聴きたいのだから、男のままでいいのか(ノ∀`)。でも来世においては女性として生まれることを待ち望み、この曲歌ってみたい。


では、結論として何を言いたいかを述べよう。


演奏会のプログラムでミサ曲が取り上げられたとき、演奏時間との兼ね合いでいずれかの楽章が省略されることが間々ある。WebMasterはそのこと自体は否定しない。複数ステージを予定し、ワン・ステージのデュレイションが30分を超えるような場合はやむを得ないと思う。やたらに長い曲はホールの使用時間長引かせ、演奏団体に不必要な負担を与えるばかりである。大概省略される楽章はCredoが多い。その理由は一番長い楽章だからである。


ただラインベルガーの各ミサ曲における、大概のデュレイションは約20分とワン・ステージに最適である。規模そのものが小さいのだから、全曲やってもらいたいといつも感じる。4人のソリストとフルオーケストラを伴う、最も規模の大きいハ長調のミサ曲ですら30分を切るほど短い。オルガン伴奏物でも20~25分。ア・カペラ物ならさらに短く17~18分ぐらいが標準的な演奏時間だ(さすがにア・カペラ物を抜粋でやった団体はそうそうないと思うが)。もう全曲やれよ、短いんだし。Credoを省略する基準なんて特にないだろ。あれか? 信仰を持っていないから「信仰宣言」なんてできないのか? それならミサ曲など宗教曲を演奏すること事態に矛盾がある。WebMasterもクリスチャンじゃない。宗教音楽は重要なレパートリーだから平気な顔してバンバン演奏する。そもそもラテン語ミサ曲は、第二ヴァチカン公会議でコンサートホールのものになっている。小さな規模のミサ曲は省略すんな!


いや、百歩譲って省略してもよい。様々な事情があるのかもしれない。ステージ構成上やむを得ないこともある。だがラインベルガーの『ミサ曲 変ホ長調 op.155』のCredoだけは省略すんな!


この曲は次のop.159を巡ってドイツ・オーストリアで論争を巻き起こす契機となったのだ。Credo内の省略されたセンテンスをどう扱うかも肝であるからして、Credoを省略することは、今日においてこの曲を演奏することのアイデンティティをかくことになる。もし省略するならば、観客に対してちゃんと説明するべきだ。そのことに無自覚なのはあまりにも勉強が足りない。そのような指導者は無能である。君らは大概はアマチュアの合唱団員を導かなければならない存在である。この作曲家はどのような人。取り上げる演目はこのよう物と説明できないものは、人々の前に立つべきではない。ただ棒を振るだけならメトロノームで十分。ラインベルガーを演奏する資格すらないだろう。


何度でも繰り返す。op.155のCredoは省略するな!