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ピアノ三重奏曲 Nr.1 in d moll, op.034

第一楽章冒頭部
第一楽章冒頭部

Klaviertrio #1 in d moll, op.034

  1. Allegro appasionato.
  2. Adagio espressivo.
  3. Scherzo.
  4. Finale all'ongarese.

 

 この曲は作品番号を付けられた室内楽として第1号となる。1862年の3月4日から4月7日にかけて作曲された。23才になったばかりの頃。すでに母校の音楽院で教鞭を執っており、その作品も出版されだしていたが、まだ作曲家として駆け出しであったため(そもそも母校は2年前に閉鎖されている)、初演・出版まではもう少し時間を経ねばならなかった。

 出版時は撤回されるが、自筆稿の扉では当初「大三重奏曲 Großes Trio」と題していた。タイトルにこのような「大 Großes」なんて装飾をつけるのは、どちらかというと控えめなラインベルガーにとって珍しい行為である。「Große」と付けられた作品は、のちに「交響的」と題名が改められた『ピアノソナタ 1番 op.47』と、ピアノ連弾のための『大ソナタ ハ短調 op.122』しかない。当時の作曲家の並々ならぬ自信が感じられる野心作。この曲はかつて作曲の師、フランツ・ラハナーに献呈された。

  ラインベルガーは作曲家・教育者としての活動が目立つが、若い時分は新進気鋭のピアノ・オルガンなど鍵盤楽器のヴィルトオーゾと目されていた。後に疾患により鍵盤奏者としての道は諦めたが、この曲の初演は1866年3月に作曲者自らのピアノにて披露された。3月23日付のミュンヘン地方紙では「ピアニストは演奏と解釈において2人の共演者に勝っていた。作品は作曲家の力量を証明....このジャンルの過去の作品に域に達している」と称賛された。しかし別媒体で「学術的な意味で独創的ではあるが不完全なデザイン」とも言われた。故か、翌67年に改訂を行っている。1870年5月にライプツィヒのC. F. Siegelより出版された。初稿が作られてから8年の歳月を経たことになる。


 WebMasterは室内楽をほとんど聴いたことがないビギナーである。昔はラジオで、今はNHKのテレビ放送でたまに有名どころの曲を聴いてもあまりピンとこなかった。でもね~、この『ピアノ三重奏曲1番 ニ短調 op.37』はひいき目無しに脳みそがぶん殴られるように衝撃であった。

 この曲は正確にはトリオではない(いやそんなことを言うのはWebMasterだけだが)。ピアノ対弓二丁の対決なのだ。しかもグローブなんてつけていない。ベアナックルによる流血必死の殴り合い。音楽院を卒業した頃は新進気鋭の名ピアニストとミュンヘンで一目置かれた存在。ピアノは腕2本でヴァイオリンやチェロは弓は一本ずつ。二天一流の宮本武蔵が佐々木小次郎&宍戸梅軒のタッグと対戦して互角に渡り合っているような物。ピアノ対弦のド突きあいなのだ。2回ぐらい聞くとわかるのだが、弓二丁はどちらかというとユニゾンだったり、並行する和音を奏でる傾向にあるので、どう聴いても2対1の格好になっているとしか思えない。いや、WebMasterが気づくぐらいだから、実際楽譜を見てもそうだし、解説を読んでも大体そんな感じに書いてある。

 

 とにかく攻撃的な音楽。曲は1. Allegro appasionato.からしてドつきあい。2. Adagio espressivo.は弓二丁たちにたっぷり歌わせ、3. Scherzo.でまた丁々発止のやりとり。特に中間部261小節目で曲想が変わり、うっかりこれが第四楽章の始まりと思ってしまい、Da Capoで三楽章の冒頭部に戻って、WebMasterの弱い頭を混乱させる。とりあえずScherzoが終わっただけなのに「ふ~、やっと終わった。疲れる曲だった」と思った瞬間、4. Finale all'ongarese.(ハンガリアン風)にてまたド突きあいが開始される。おいちゃん、曲が終わったと思っていたから、( ゚O ゚)びっくりしてこんな顔に。ハンガリー人っていうか、ロマはこんなにも激しいのか? しかも今度はベアナックルどころではない。お前ら絶対拳の中に石かジッポーを握りこんでいるだろうというぐらいのヘビーパンチ! アンパン~~チ!!!239小節目のVivoからの加速感はゾクゾクしちゃう。まだ指の疾患が出る前の作品であり、腕自慢だった作曲家が自前で演奏することを前提に作り、そのドヤ顔が目に浮かぶような作品。WebMasterはこの曲を「げん骨」と呼んでいる。