初期宗教曲集

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Fünf Motetten op.40

5つのモテット SATB

ドイツ語テキスト

  1. Ich liebe, weil erhöret der Herr わたしは主を愛する。(Psalm 116(114),1-7.9)
  2. Warum toben die Heiden なにゆえ、もろもろの国びとは (Psalm 2,1-4.11.12)
  3. Der Herr erhöre dich 主があなたに答え(Psalm 20(19),2-3.6)
  4. Es spricht der Tor in seinem Herzen 愚かな者は心のうちに (Psalm 53(52))
  5. Frohlocket, ihr Gerechten 主を賛美することは正しい人にはふさわしい (Psalm 33(32,1-4.6.12))

Sechs Hymnen op.58

6つの讃歌 1869 無伴奏cho, SATB

ラテン語テキスト

  1. Omnes de Saba すべての者はシバより来らん (Jesaja 60,6.1)
  2. Prope est Dominus 主は近くにまします (Psalm 145(144),18.21)
  3. Diffusa est あなたは誰よりも美しい (Psalm 45(44), 3.5)
  4. Jesu, dulcis memoria 主よ、その優しき思い (Hymnus der Vesper am Fest)
  5. Justus ut palma florebit 彼らは主の家に植えられ (Psalm 92,13-14.2)
  6. Veni, sponsa Christi きたれ、キリストの花嫁 (Tractus Der 1. Messe Von einer)

 ラインベルガーは幼少の頃より、カトリック教会にてその経歴を始めており、Han Theillが言うように教会音楽が母語と言っても過言ではない。14才の頃には故郷の両親に「僕はどんな音楽よりも教会音楽を書きたいし、その能力があります」に書いている。しかし出版・未出版の作品を見渡しても、「モテット・讃歌」といった、ミサ通常文への作曲を行ったテキストへ作曲した割合は意外にも低い。正確な数値では無いが、習作期でもざっと6点、成人以降でも5点ぐらいでしか無い。そして、正式に作品番号を与えた作品も9チクルスしかない。

 

 ラインベルガーは人気作曲家であったため、作品を書けばすぐに初演1年以内ぐらいの間に出版がなさることが多かったが、意外なことに無伴奏宗教曲集のジャンルは作成後すぐに出版されたものはほとんどなく、かつほとんどの彼の作品は出版社から拒否されている。

 

 1871年5月、ラインベルガーは書きためていた宗教曲の出版を計画した。まず1864年に原型が完成していたドイツ語テキストの『Fünf Motetten op.40 四つのモテット 作品40』。そして第6曲目のみ1864年で残りは1869年に作曲したラテン語テキストの『Sechs Hymnen op.58 六つの讃歌 作品58』を刊行しようとされぞれ別の出版社に原稿を送付した。

 

 1871年5月16日に作品40をボーテ&ボックに、そして作品58を数日後の5月22日にローベルト・フォアベルクに依頼している。だが、5月26日フランチスカが日記に書いている。「ボーテ&ボックはモテットを、フォアベルクは6つのラテン語讃歌を返却した」。2社からの出版拒否の手紙は現存していないため、出版社側の拒否の理由はまったくわからない。

 

 1864年8月20日から9月1日にかけてのファドゥーツでの休暇滞在中、ラインベルガーは数年前に書いた詩篇の作曲に手をつけ、出版を構想してた。音楽院時代の作曲の師、ヨーゼフ・ユリウス・マイヤーに次のクリスマスプレゼントとして贈呈した。当初モテットは6曲あり、以下のようなラインナップであった。

 

  1. Warum toben die Heiden
  2. Der Herr erhöre dich
  3. Es spricht der Tor
  4. Frohlocket, ihr Gerechten
  5. Wie lieblich sind deine Wohnungen
  6. Herr, in deiner Kraft erfreuet sich der König

 

 ラインベルガーは1871年の出版構想に際し、最初の4曲をさらに手を入れる。1871年5月18日に新しいモテット「Ich liebe, weil erhöret der Herr」を加えた。「Herr, in deiner Kraft」は、1882年かつてのオルガン奏法の師ヨハン・ゲオルク・ヘルツォークが編纂したの合唱曲集に発表するまで公表されなかった。「Wie lieblich sind deine Wohnungen」は1865年のクリスマスの時期に女声合唱とハープまたはピアノための「讃歌」として編曲し、1870年に出版を行っている。

 1864年10月22日、ラインベルガーは前記のファドゥーツでの休暇から帰ったのち、さらに彼は「Veni sponsa Christi」と「Tui sunt Coeli」の2つのモテットを作曲を行った。前者は作品58に、後者は作品69に割り振られた。作品58の他の5つの讃歌は1869年まで書かれなかった。

 

 1869年、「Omnes de Saba」は十二日節(1月6日)ちょうどに、「Justs ut palma」が1月14日、「Diffusa est」が1月18日、「Jesu dulcis memoria」が2月24日、「Prope est Dominus」が3月日に作曲がされた。同じつながりで彼は「Media vita」も書いたが、この曲は作品58としては出版せず、『Vier Lieder des Gedächtnisses op.24 四つの思い出の歌 作品24』の中に収録した。

 

 ラインベルガー夫妻の個人的守護聖人がであることが、作品58のテキストを選択した理由であることがフランチスカの1869年1月24日の日記からうかがえる。『ここ数週間クルト(ラインベルガーのニックネーム)はもう3つの奉献唱を書いた。1)聖ヨーゼフを讃える「Justus ut palma」2)聖フランチェスカ・ロマーナを讃えた「Diffusa est gratia」3)「Media in vita [ママ] in morte sumus」』。

 

 当初2社から出版を断られた『4つモテット』と『6つの讃歌』だが、ラインベルガーはあきらめずに出版の機会をうかがい、前者は1872年にライプツィッヒのザイツから「作品40」として、後者はやはりライプツィッヒのホーフマイスターから1874年に「作品58」として刊行された。この時点ではすでに「作品69」はすでに出版がなされていた。

 

(2019/May/25)