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Orgelsonate Nr.5 in Fis-dur, op.111

オルガンソナタ第5番 嬰ヘ長調 作品111

Grave; Adagio non troppo; Finale

テオドール・グヴィ (Théodore Gouvy, 1819 - 1898)
テオドール・グヴィ (Théodore Gouvy, 1819 - 1898)

↓第二楽章:Adagio non troppoの中間部、スケルツォに該当するAllegro。上から順に批判校訂版・ハーヴェイ・グレイス版・ラインベルガーの直筆スケッチ該当箇所

via carus/ 50.238 p.69
via carus/ 50.238 p.69
via Novello/ NOV010143 p.10
via Novello/ NOV010143 p.10
via Mbs.ms. 4739 b-2 p.30
via Mbs.ms. 4739 b-2 p.30

 ラインベルガーから『オルガンソナタ5番』を献呈うけたテオドール・グヴィ (Théodore Gouvy, 1819 - 1898)は、1878年12月11日付で感謝の手紙を送っている。「私はあなたの美しいソナタをしばしば一人で、そして私の義理の妹とピアノ連弾で演奏しています。私たちはとても気に入っています」(グヴィはオリジナルのオルガン版とともに、4手ピアノ連弾リダクション版の楽譜見本本も受け取っている)。

 

 グヴィはドイツ系のフランス人だが、普仏戦争後(1870-71年)でのプロイセンの勝利=ドイツの優越性を鑑みると、当時ドイツ人からフランス人への献辞を送ることはかなりまれなのだという。またアレクサンドル・ギルマンにオルガンソナタ9番献呈を行っている。この点でラインベルガーは生粋のドイツ人ではなく、あくまでもリヒテンシュタイン人としての、より『グローバルな国際感覚』を持ち合わせていることがうかがえる。

 

 ラインベルガーは1878年5月の最終週に『オルガンソナタ5番 嬰ヘ長調 作品111』作曲されている。清書譜は失われているため、最終の完成日ははっきりしていない。スケッチは第一楽章が1878年5月25日に、第二楽章が5月26日そして第三楽章は5月31日に書き終わっている。

 

 このソナタは第二楽章に初めてスケルツォ(69小節目から)を置いていることにより、交響曲を意識しだしたことがうかがえる。この試みは次のソナタ6番で達成される。

 

 ハーヴェイ・グレイスは自身の編集した楽譜でスケルツォの箇所の3/4拍子を6/8拍子に書き換えた。そしてテンポを"♩.=♩, ma poco più moso"に変更することを推奨している。マーチン・ウェイヤーは「このテンポの関係は正しく判断されており、オリジナルの表記を使っている我々のヴァージョンでも採用されなければならない」と述べており、一考に値するだろう。

 

 この作品以後ラインベルガーは自作のオルガンソナタを自らの手で4手ピアノ連弾リダクションを行い、オリジナルのオルガン版と同時に出版するようになる。4手ピアノ連弾版は1878年7月13日に完成し、同年中に出版された。