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ミサ曲 変ホ長調 op.155

"Reginae Sancti Rosarii"

1888年(49才)、夏の休暇でバット・クロイトとスターンベルクに滞在中、ラインベルガーはop.155となる、女声合唱とオルガンのための『ミサ曲 変ホ長調』を完成させる。この曲には"Reginae Sancti Rosarii (聖なるロザリオの女王)"という副題が着けられた。7月26日から8月4日にかけバット・クロイトにて下書きがなされ、8月21日から清書が始まり9月9日にスターンベルクで完成している。作曲者自身は自己の作曲の技量とカトリックの典礼との整合性に自信を持っていたが、レーゲンスブルクにある教会音楽学校の校長、フランツ・クセバー・ハーベルルにこの曲を送り意見を求めた。ハーベルルは総ドイツ・セシリア協会の幹部であり、協会の設立者ヴィットの片腕であった。また彼の教会音楽学校からはヨーロッパ中から生徒を迎えいて、セシリア運動の拠点であった。

 

ハーベルルは1889年6月に返答する。その内容をかいつまめば、

「テキストに欠落がある点が問題である。具体的にはクレドでEt incarnatus の前の"Qui propter nos homines et propter nostram salutem descendit de coelis"が丸々欠けている。et iterum venturus estのあとの"cum gloria"も欠落している。ほかSanctusの"in excelsis"で終了せず"hosanna"で修了しているのは、典礼上の規則に違反しているため修正することが好ましい」

といった、適切かつ友好的なアドバイスであった。ラインベルガーはアドバイスに従って、"Qui propter nos homines et propter nostram salutem descendit de coelis"を5小節使って挿入することにする。楽譜の印刷一歩手前まで進行していたことにより、出版には間に合わかず、5小節分だけ別紙に刷り差し込む形となった。しかしなぜか"cum gloria"は挿入されていない。Sanctusの結部はそのままであった。

 

この対応にハーベルルはすかさず反応を示して感謝の手紙を出し、音楽雑誌にも好意的な論評を載せるのであった。

 

 

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op.159