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大前提その1:簡単な傾向

まずラインベルガーはその生涯で23曲にミサ曲を作った(うちレクイエムが5曲)。23曲中5曲の少年期の作品ともう1曲は出版されなかった。ゆえに出版したのは17曲(レクイエム3曲)である。彼は1861年、22才の時に『ミサ・ブレビス ニ短調 作品83』番の初稿を完成させ、この曲が本格的なミサ曲の皮切りとなる。この曲よりも若い作品番号のミサ曲があるが、改定版が出版されたのが13年後であるので順番が前後してしまっている。彼の作品番号は出版年順に、本人自身が付与したと思って差し支えない。

 

ラインベルガーは ミサ・ブレビス ニ短調をア・カペラで作曲した。このように、例外(op.60の大レクイエムとop.62のオルガン伴奏独唱曲)を除いて無伴奏ミサ曲から出発し、途中op.169の大ミサ曲などもあったが、最終的にはオルガン伴奏が自身の理想とするミサ曲としての形態に落ち着いた。基本的には質素倹約、どれも平易簡潔に短時間で演奏でき、非常に無駄のない曲作りになっている。無駄にテキストを繰り返さない。グロリアやクレドのコーダ部分をフーガであおったりもほとんどしない。同時代の作曲家たちのように、「世界の苦悩を全部背負って、解決する」的押しつけがましさ、暑苦しさがない。ほとんどの曲のグロリアとクレドの先唱("Gloria in excelsis Deo"や"Credo in unum deum")は司祭に担当させている。演奏時間もオルガン伴奏曲なら大体20〜25分ぐらい。ア・カペラ曲などは18〜20分ほどである。4人のソリストとフル・オーケストラ(または弦楽とオルガン伴奏)を伴う大ミサともいわれるop.169でさえ30分未満。さすがに4人のソリスト、フルオケ伴奏の大レクイエム op.60は50分ぐらいかかるが。

 

ラインベルガーのミサ曲の特徴をみてみよう。基本的に3つの部分からなるKyrieは A B A'の構成になる。原則としてGloriaでは“Quoniam tu solus Sanctus”で冒頭のテーマが再現されます。Credoは基本的に急緩急のテンポをとる。そしてどこかで必ず冒頭のテーマを再現する傾向となる。Gloriaと違うのはその回数で、曲により1回の場合もあるが、再現されない曲も一つだけある。op.109やop.187は4回再現される。Sanctusは緩徐楽章になる。いくつかの曲は"in excelsis"で終了せず"hosanna"で終わるし、全く違うパターンも存在する。Benedictusはカノンの形式が多い。Agnus DeiはA A' A''の構成をとり、これらの傾向は後期のオルガン伴奏曲に非常に顕著である。

 

またラインベルガーの最大の特徴だが、何故かGloriaとCredoでミサ通常文を省略して作曲する癖がある。実は彼はあまり語学が達者ではなかった。幼少の頃よりカソリックの音楽に親しんでいた割には、ラテン語の知識が今ひとつだったのである。レクイエムを除く14曲のミサ曲で、すべてのテキストを使用しているのは、op.159、op.169、op.187だけである(op.62はこれまた特殊なのであるが)。シューベルトのように同一カ所の欠落ではなく、曲によってまちまちだったり、センテンスが前後していたりと意図的に行っているのではなく、うっかり間違っているのではないかとしか思えない。

 

例を挙げれば、op.83のGloriaは2回目の"Qui tollis peccata mundi"が欠落している。"Quoniam tu solus sanctus"のあとの”Tu solus dominus”も欠落している。Credoでは"sub Pontio Pilato"といった、かなり重要な言葉が無い。ほかにも2ヶ所欠落している。最も有名なop.109 "Cantus Missae"ではGloriaでやはり2回目の"Qui tollis peccata mundi"が欠落している。だが、実はこれはCarus版の単行本楽譜上でのことで、実はこの曲は本来1回目の"Qui tollis peccata mundi"の"mundi"も無いのである。校訂者によって、単行本上では捕逸されているのであり、その解説がなされていないのである(さすがに全集では解説されている)。

 

先にラインベルガーはラテン語の素養がなかったと書いたが、もう一つの例を挙げてみよう。『待臨節のためのモテット Advent-Motetten op.176』と言う作品がある。この曲は妻フランチスカ(ファニー)・フォン・ホッフナースが他界した後の作品である。フランチスカは文学者であったから、ラインベルガーの声楽作品に様々な影響を与えた。それは文学的・文法的に多くのアドバイスを与えていた。そのチェック機能としての彼女が亡くなってからの作品のため、この9曲のモテットのいくつかは、単語の省略、抑揚やアクセントの間違いが散見されたため、出版社から作者の死後弟子のヨーゼフ・レンナー・ジュニアに校訂の依頼がなされ、その手が入った状態で出版されている。今日においてはオリジナルバージョンでの演奏が主流である。なおラテン語の翻訳もお手の物だったぐらい語学に堪能だったフランチスカが、生前なぜミサ曲の誤りに関与しなかったのかは謎である。この点はどの研究者も指摘していない。気づいていなかったのだろうか?

 

なお、各ミサ曲のテキスト欠落箇所は別項にまとめてあるので、そちらを参照してもらいたい。欠落の無いop.159、op.169、op.187に関して、WebMasterはそれぞれファースト、セカンド、サード・パーフェクトと呼んでいる。

 

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